私が南極観測隊に参加したのは2004年。過去の南極観測隊が現地に残してきてしまった多様なゴミを一掃するべく4カ年計画の「クリーンアップ作戦」が計画された時のことです。南極観測が発足した当初は、ゴミや廃棄物の処理にまで配慮が廻らなかった現状があったそうです。しかし環境への意識が高まり、循環型社会の創出という考え方が次第に浸透し、南極の実情も例外とはせず、ゴミ問題を早急に解消すべきとの共通認識が生まれ、「クリーンアップ作戦」が実施されることになったとのことです。このミッションを確実に、かつ効果的に果たすべく環境事業のエキスパートとして、日頃積極的に廃棄物処理事業に関与している企業に隊員募集の推薦枠が廻ってきたと聞きました。 社内でこの「南極観測隊員」への募集が公示された時、私はすぐに行ってみたいと思いました。
なんと言っても南極行きなんて、そうめったに恵まれるチャンスではありませんし、きっと自分自身にとって貴重な体験になると確信しましたから。
会社の推薦を受けて応募申請をしてから、乗鞍での野営訓練などに参加したり、その後も健康診断などいくつかの選考審査を経て、無事南極観測隊員としての参加が許可されました。健康診断では会社の検診同様のフィジカル・チェックはもちろんですが、メンタル面からもロールシャッハテスト(*1)などを受け、南極という地での任務遂行への適性がチェックされます。選考審査通過後は非常に忙しく、南極へ持っていく物資の調達作業や現地での作業関連の打ち合わせ、さらには必要な重機や機械関係の操作技術や簡単な修理方法の習得、そして免許取得などの準備のプログラムを確実に消化しました。そうすることでチームの結束が高まっていくことを実感できました。
*1…スイスの精神科医ヘルマン・ロールシャッハによって考案された性格検査の代表的な方法。
まずオーストラリアまで飛行機で飛び、すでに現地に到着していた「しらせ」に乗り込み、いよいよ南極海へと氷の海を分け入る航海を経験しました。観測隊員として昭和基地に到着するタイミングの南極は夏季、イメージしていたような厳しい気象条件ではないものの、“夏作業”と言われる現場での肉体労働はとにかく厳しいものでした。
身体的にこの種の身体を使った労働に慣れていないということもあるのでしょうが、とにかく疲れるのです。連日まさに土方作業、車庫を造ったり、配水工事のために土手を作ったり、雪が溶けているうちに散在しているゴミを回収したりと、やることは山のようにありました。日に日に体重が減るのが分かるほど体力を消耗していましたが、冬を迎える頃には徐々に筋肉も付き、身体も慣れて来ていることを自覚できました。そうこうするうちに「しらせ」が昭和基地での滞留期間を終え、帰還準備を始め出します。昭和基地には港がないので、「しらせ」は沖泊め止めでヘリコプター等での物資の輸送をするのですが、もう明日からは基地へのヘリコプターが戻ってこなくなるというタイミングで、隊長から越冬隊員に向けて、南極での越冬意志の最後の確認がありました。正直そのとき改めて、“南極大陸で永い冬を越すこと”の意味が実感でき、覚悟が定まりました。
“南極観測隊員として日本人としてのフラッグを背に極地で越冬する”、普段の生活ではなかなか経験できないことばかりですから、今更ながら貴重な経験をさせていただいたと思います。南極で学んだ最大のことは「何かが起きたら、自分たちの力で解決する」につきると思います。単純なことですが「自力でやる」ということについての重要性とささやかな自信もついたように感じています。隊員の中には今までミッションを変えながらも何度も行っている人もいらっしゃると伺いました。私も是非また、チャンスに恵まれればと思っています。