編集部:石沢さんご自身は今まで、南極に何度行かれたのですか?
石沢:私は越冬隊員として4回、夏は2回、その他外国基地にも何度か行っています。最初に行ったのはまだ学生でしたから、1976年でしたでしょうか。当時の私は地質学を専攻しており、観測隊員として行きました。おもに私は昭和基地ではなく、奥地にあるみずほ基地やあすか基地といった前線基地にいくことが多かったので、本当に色々な経験ができましたね。
編集部:色々な経験と言いますと?
石沢:昭和基地と違って隊員が4名ほどの非常に小さな基地でしたから、自分たちで一から十までそれこそ何でもやらなければいけない環境なんです。トラブルが発生すれば、それは「自分の専門外だ」とか言っておられず、とにかく生き延びるために乗り越えなければならない。日常生活の全て、炊事、洗濯、掃除、そして観測までを自分たちの力でこなさなければならないわけです。日本にいれば、“自分の役割”というものがそれぞれに与えられ、それをこなしていればいいというような生活環境ですが、南極では選べない。全てを自分たちの力で目の前のことをやらなければいけない。