JFE奥草津休暇村の確かな歩み
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第二部 森林再生への道のり

「治山」と「治水」
休暇村は露天掘りの鉄鉱石の鉱山跡地ということですが?

-- ここは、昭和19年から20余年の間で約300万トンもの鉄鉱石が採掘された、往時は国内第2位の生産量を持つ鉱山として、わが国の鉄鋼業に大きく貢献をした山です。ですから今でも注意してみると露天掘りの形跡を見る事ができます。足元の岩をご覧いただくと明らかに赤いでしょう? 岩が鉄分を含有している証拠です。

昭和40年3月の旧群馬鉄山の閉山後、植林を始めました。さらに、この地の環境保護を目的に、周辺の国有地を分収造林契約して、植林しました。47万坪の敷地のうち、きちんと下草が刈られ散歩が楽しめるエリア、いわゆる「里山的な森林」が1/3で、それをとり囲む森林が2/3ありますが、こうした繋がりのある森の景観になるまでには長い時間がかかりました。

森林を再生する上でまず着手しなければならないのは、山の治水です。山の気候は平野に比べ降雨量がずっと多く、変わりやすいことはご存知ですよね。閉山当時、山には数条の水路があったのですが、草木がないために雨が降り出すと、土砂も一緒に流される状態でした。そこで、まずこれらの水路を集約、敷地南側の山裾の境界線寄りに元山水路を新設しました。昭和45年に始まったこの水路工事は、保全管理を段階的に進め、昭和48年、50年、52年と3回にわたり、一部水路変更や底固めなどの大規模な埋土整地工事を繰り返し、現在の「元山川」へとなったのです。この水路の整備工事と平行して進められたのが、採掘場や堆積場の整地、覆土、そして「森づくり」の実際的な作業となる植栽工事でした。

鉄山1   鉄山2   鉄山2
旧群馬鉄山だった頃1   旧群馬鉄山だった頃2   閉山直後
まずは、「治山」と「治水」といった大掛かりな土木工事に着手されたのですね。

-- その通りです。 木を植えるにはまず、木が育つ土台を作ってやらなければなりません。排水の良い、水はけの良い土地を作り、そこに木が育つために十分な栄養のある表土を覆ってやらなければ、木が育つどころか、災害の原因にもなりかねません。こうした敷地内の基本整備が完了するまでに10年あまりの時間を要しました。 こうしてやっと「木を植えること」が出来るスタートラインに立てるのです。

さて、いよいよ木を植える訳ですが、奥草津で植林ができる季節は4月から6月ぐらいまでの3ヶ月余りに限られてしまうのです。暖かい地方でしたら、秋口まで植林出来ますが、若い苗木たちが六合村の厳しい冬を乗り切るためには、苗たちは夏の間にしっかり根を張り、自力で表土から栄養分を吸収できるまでにしっかり成長していないと冬を越せません。ですから、植林も他の地方に比べると時間もかかり、段階的に進めるしかありませんでした。
さまざまなご苦労があったのですね。

-- 「森の土台づくり」に関与された諸先輩方は本当に大変だったと思います。何もかもが初めての経験だったでしょうし、当時は「このような場所での森林再生」のやり方についてのデータもありません。「材木という商品を作るための植林」はここの周辺でも行われていましたが。試行錯誤を繰り返しながら、木を植え、木を育て、さらには森へと、時間をかけ、少しずつ歩まれた、と伺っています。

植林
奥草津休暇村1
奥草津休暇2
奥草津休暇3


私たちはともすると「木を植えれば、そのまま育つ」を思いがちですが、そうではないのですね。

--「植林」と「育林」という言葉がありますが、森をつくるにはこの「育林」という作業と意識が大変重要なのではないかと思います。土に木を植えたら、「苗は自然に育つ」と考えがちですが、植林したばかりの苗木への水やりは欠かせません。休暇村では今も継続して苗木を植林していますが、残念ながら育つことなく枯れてしまう木はどうしても出てくるのです。そうした場所には、適切に補充するべく、再度苗を植えています。

整地、覆土をしたばかりの土地は、表土がまだ植物を育てるだけの力が十分ではありません。つまり、水を吸収し、それを適切に含み、しかも養分を与えられる準備の整った土台ではないのです。この状態ではまだ植林は出来ません。整地が終わったら、まずは牧草のような草の種を蒔き、山特有の強い雨でも表土が流されない状況にまで持っていく段階があり、緑の草地になるのを待って、やっと「植林」ができる土台ができるのです。

植林には、まずこの土地に苗をならすために、苗場をつくり、そこで、苗を一年間育成し、その後、覆土した場所に苗を植え替えました。植林をした最初の一年はまめに水をやり、木が土地に馴染むかどうか注意深く観察しながら適切な世話します。苗木がしっかり根を張り、枝から新芽を出してきたら、まずはひと安心できますが、それまでは気が抜けません。

さて、そうした苗木が育ち雑木林のようになったら、今度は下草を刈ったり、枝を払ったりする仕事が待っています。これが「育林」の一連の作業、つまり「育林」とはエンドレスな仕事です。

旧群馬鉄山閉山後、自然が本来の姿を取り戻すよう、覆土・植栽整備など膨大な時間と費用をかけ、森林再生のプロジェクトも何とかここまでたどり着きました。自然には自分で回復するパワーを本来持っていますが、人間が自然に手を差し伸べなければ、これほど早く山は元の姿に戻ることはできなかったと思います。自然は何も言いませんが、緑が濃くなるこの季節になると、感謝の気持ちをそっと伝えてくれているように感じますね。

 
 
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