STAY HOME
Hope
by Herbie YAMAGUCHI
写真 ハービー・山口
キュレーター・コメント
Curator Comment
新型コロナウイルスに翻弄された2020年、
人々の日常生活から世界のアジェンダに至るまで、
多くのプログラムが白紙となり、生き残るための自粛が強いられました。
“日常”が“非日常”に塗り変えられた日々を通して、
私たちが気づされたのは当たり前の普段の暮らしのありがたさでした。
さまざまなことに規制が及ぶ中でも多くの人々はその不都合に堪え、
未来への希望を信じて、日々の暮らしを愛おしんでいます。
そんな瞬間を捉えた写真、それら私たちに新たな出発の礎になるはずです。
生命のあるかぎり、希望はあるものだ。
ミゲル・デ・セルバンテス
(1547-1616)
太田菜穂子
-
The year 2020 was marked by the advent of the new corona virus,
which turned our world upside down.
Humanity is fighting back but progress is still slow.
People’s daily live is at the mercy of this pandemic menace.
Survival is the order of the day.
The unusual has become the new normal. Sanity is a valued commodity.
The joyful, optimistic and yet sensitive photographs
remind us of happier moments with HOPE on the horizon and PEACE
as the pillar for a new beginning.
While there’s life there’s hope.
Miguel de Cervantes
(1547-1616)
Naoko OHTA
朝起きて、外が晴れているのと雨が降っているのとでは、その日の気分も違ってくるだろう。だからといって、どちらがいい天気かというのは、一概には言えない。雨音にも安らぎを感じる趣きがあったり、晴れれば日焼けが気になったり。誰にでも当てはまる状況を誰もがぞれぞれに主観して、天気を感じ取っている。
私の写真は、そんな天気のような存在だと思っている。
ふとした光景の中に、キラっと光るサインを感じ取ることがある。目の前にあるのは、決定的瞬間でも何でもない、漠然とした静かな光景だ。しかし、ある「何か」を孕んだ光景だ。ひらめいたように撮ると、写真には「何か」が映り、その「何か」が自分に語りかけてくる。そこに私の主観はない。写真の声を聞きながらやっと私は自分自身を推し量っているのかも知れない。
エコギャラリー:新藤琢作品へ
僕の生まれ育った家は、海辺の町にあり子供の足で15分程歩いてよく海岸へ遊びに行った。海に近づいて来ると地面は砂が混ざり始め、潮の香がしてくる。やがて足元は砂に埋まり、砕ける波の音を聞き、風を感じながら緩い斜面の松林を抜けると光る海が拡がり、ガランとした砂浜には潮風に洗われた木造りのブランコ。ダボハゼや貝、ウニ、イソギンチャクがいる磯や岩場も恰好の遊び場だった。中学生になったある日、暫く振りに海岸へ行って愕然とした。松林も磯や岩場も消え、全てコンクリートで埋め尽くされていた。1960年代前半の事である。以来40年余り、当時出来た海沿いの道路は既成事実の風景として其処にあり、以前の佇まいを想像する余地はない。飽く無き作業は、今も延々と既成事実の風景を造り続け日本全土を被い尽くそうとしている。ただ、人間の意図に反して自然に戻ろうとする力がある事も忘れてはならない。(広川泰士)
エコギャラリー:広川泰士作品へ
私たちが生命を与えられ、育くまれ、そして土に帰る場所、地球。つまり地球とは、私たちにとって出生地であると同時に、終の住処でもあるのです。生涯にわたって一瞬も途切れることのない絆によって結ばれた場所である地球の風景を、杵嶋宏樹さんは12枚の透明な光で貫かれたイメージで表現しました。“地球の姿”を表現する方法は無数に存在します。ただ、ここにある風景のように、切なく、懐かしく、響き合う風景の連なりは希有でしょう。ひたひたと満ちてくるさまざまな感情、喜び、怒り、哀しみ、楽しさ、“咲きに行く〜harmony scale〜”は、調律された地球の色とかたちが、瞬間凍結のような鮮度をもって保たれています。こんなふうに誰かに、何処かに繋がってゆける景色がこの地球にいつまでも存在することを祈りましょう。(太田菜穂子:キュレーター)
エコギャラリー:杵嶋宏樹作品へ
地球の大きな動きと自分がここで見ているコトが繋がっている、井上佐由紀の写真は"連鎖する世界のかたち"をシンプルに見せてくれる。焦点が定まったその視界の幅と奥行き、整理された色彩、確かな構図、しかし何よりも強く伝わってくるのは、誰にも覚えがある、過ぎ去った大切な記憶だ。忘れかけていた個人の大切な思い出のシーンが"地球の今"と重なり合う時、次に繋がるアクションへのボタンが押されるのかもしれない。(太田菜穂子:キュレーター)
エコギャラリー:井上佐由紀作品へ
そこにある現実を写真というメディアを通じて全身で受け止める写真たち。
このギャラリーの被写体はまぎれもなく、生身の地球です。
キュレーター/ GALLERY 21 ギャラリスト/World Photographic Academy メンバー
フランスとのネットワークを基盤とし、GALLERY 21 (1998年スタート)で現在までに70近くの写真展を企画。
これと並行し、企業や国内外のブランドとのコラボレーションによる文化、アート、
環境関連プロジェクトをトータルにプロデュース。