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Comment trouver sa place dans un espace parfois
exigüe comme les ruelles de Tokyo ?
Comment trouver la place de chacun des
éléments dans une photographie?
Si le travail de composition est un mélange
de chance et d'instinct,
pour ce remplacement de poteau électrique,
j'espère que rien n'a été laissé au hasard.
Lieu de prise de vue : Nakameguro, Meguro-ku
Jérémie SOUTEYRAT
かくも狭い東京の路地で
どうやって空間を確保するのか?
それぞれの要素を写真として
どう位置づけてゆくのか?
構図の成り立ちが、運と直感が混じり合うことで
成立ものものであるとしたら
この電柱の取り換え工事の瞬間に立ち会ったことは、
偶然ではなかったと願いたい。
撮影場所:目黒区中目黒
ジェレミ・ステラ
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京都や奈良といった古都であるならば、
街角にも聖域があるのは不思議ではない。
東京はどうだろうか
小さな祠や稲荷がかたすみにしっかり祀られていたり、
東京大空襲で犠牲になった多くの人々の鎮魂として地蔵尊が置かれていたりする。
ただし、この時代の風景の中にあっては、
目に入っていながら見えていない街角に置かれた「モノ」になっている。
それらは実はとても正統的な街角の構図の一要素である。
あるべき場所にあるべき姿としてひっそりと佇んでいるからだ。
そして律儀にもかつての時代と現在とを結びつける仕事を淡々と行っている。
大西みつぐ
撮影地 北区岩淵町
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Se fondre dans l'environnement est la clef de la photographie documentaire
pour les photographes. Parfois, le sujet se fond aussi dans l'environnement.
Le Japon fait fantasmer l'occident par son esthétique dépouillée et par ses
mets raffinés. De simples plantes peuvent magnifier un vieux restaurant de ramen.
De l'intérieur proviennent des stimuli olfactifs,
que peut être un jour la photo du 21eme siècle pourra retranscrire.
Je me questionne souvent sur le point de vue des Japonais sur le contenu
de ce genre de photo, composition mise à part.
Elle paraitra surement très classique
pour eux et tellement extraordinaire pour les occidentaux.
Je crois que le fait de vivre au Japon n'a pas encore
eu complètement raison de mon œil d'occidental.
Lieu de prise de vue : Shibuya-ku, Ebisu
Jérémie SOUTEYRAT
状況の中に溶け込むこと、それがドキュメンタリー写真の鍵となる。
時には主題が状況そのものに溶け込むこともある。
日本は、その簡潔な美学と洗練された料理で西欧人を魅了している。
店先に置かれたありふれた鉢植えの植木が古びたラーメン屋をひきたたせ、
店の中からは鼻腔を刺激する匂いがもれてくる。
いつしかこれが、21世紀の或る日を思い出させる写真となるかもしれない。
構図は別のこととして、日本人が撮るこの種の写真の内容への
日本人の視点を疑問を感じることがある。
日本人が捉える構図には、彼らにとっては何の変哲もないものであっても、
私たち西欧人にはとても素晴らしいものとして映る。
こうして数年にわたり日本に住んでいても、
西欧人としての私の視点は相変わらず変わっていない。
撮影場所:渋谷区恵比寿
ジェレミ・ステラ
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人と人とが互いに季節の到来を喜び合うという瞬間が日本にある。
普段、無関係という関係を結んでいるはずの都市に住む人々でさえ、
その時間には、他者と共感することを大きな目的としたくなる。
実は冷静な観察者であるはずの写真家も、
そんな「晴れの日」には、
いつしか人々の中に紛れ込んでしまったかのような錯覚に陥る。
その時写真家はちょっと後ろめたい気持ちになったりするが、
わが身をも含めた周囲の状況こそが「風景」だと思えばよいのだ。
そうして、主体と客体とが簡単に入れ替わることがすなわち現実なのだろう。
大西みつぐ
撮影地 江東区深川
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Au Japon, même pour un étranger,
il est difficile de ne pas subir la pression sociale dans les lieux publics : chacun ne doit pas interférer avec la sphère personnelle de l'autre.
On feigne de tout ignorer, des petites joies de la vie en communauté jusqu'aux injustices sociales.
Chacun doit vivre dans son monde.
La photographie permet de rentrer en connexion avec l'autre,
mais aussi de donner à voir ce que l'on n'aurait pu observer que de manière fugace.
Elle allonge le temps à l'infini.
Lieu de prise de vue : Chuo line
Jérémie SOUTEYRAT
日本では、外国人といえども
公共の場における社会的な暗黙のルールを無視することは難しい。
ここでは、他人の領域をむやみに干渉してはならない。
日本の社会では社会的な不正が起こらない限り、
個人のささやかな喜びにいたるまで、
他人に対して、我々は無関心を装わなければならない。
人はそれぞれに自分自身の世界を生きているのだ。
しかし、写真は、
他人の世界に関わりを持ち、
その人の世界を一瞬にして捉えてしまう。
写真には、その瞬間の有り様を永遠に残す力が備わっている。
撮影場所 :中央線車内
ジェレミ・ステラ
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私たちが目にする都会の風景は、
いつも巧みに構成され、的確な動きがそこにありこちらも巻き込まれていく。
それらは舞台芝居でもなければ映画でもないのは誰でも知っている。
あたりまえの「現在」だ。
その「現在」を賛辞しようが批評しようが、
もちろんそれぞれの自由であるのだが、
「そこに人がいる」という尺度をいかに持ち得ているかどうかが鍵となるだろう。
暮れから新年へ、
華やかそうな時の流れの中で、私たちはふと立ち止まる。
「そこに人がいる」。
大西みつぐ
撮影地 JR神田駅
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Le photographe n'est il pas le témoin d'un théâtre à ciel ouvert, en mouvement permanent?
A lui de figer la scène, par un clap, ou plutôt un clic.
Mais personne ne l'écoute, la vie continue sans lui.
La photographie est plus éphémère qu'une fleur de cerisier,
qui reviendra chaque année.
Photographier au Japon, c'est photographier
l'éphémère au pays de l'éphémère.
Au même instant, le 10 avril 2011,
ont lieu les premières manifestations anti-nucléaires a Koenji.
Un autre théâtre, une autre scène.
Lieu de prise de vue : Shinjuku Gyoen, Shinjuku-ku
Jérémie SOUTEYRAT
写真家とは常に動きのある野外劇場の
証人みたいなものではないだろうか?
舞台で演じられるワンシーンを捉えるべく押されるカメラのシャッター音
、
しかし、誰もそれを聞いてはいない。人生は彼には関係なく続いてゆく。
毎年必ず花を咲かせる桜とは違って、
写真は一瞬を捉えるもの。
日本で写真を撮るということは、
はかない国のはかなさを撮ることなのかもしれない。
この写真を撮影した2011年4月10日は、
高円寺で最初の原発反対デモがあった日。
もうひとつの劇場にはもうひとつのシーンがある。
撮影場所 : 新宿御苑
ジェレミ・ステラ
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初期の遠近法は古代ギリシャの舞台美術に使われたというが、
東京では時々、この芝居の「書き割り」のような風景が見えてしまうことがある。
前景、中景、遠景が見事にひとつの平面に同居し、
とてもおかしな遠近感ができあがる。
それは東京に独特の密集感があるからだろうが、
「東京スカイツリー」ができて、これまでにない都市の遠近感を生んでいる。
それらは主として、東京の東部の町における風景だ。
日常と非日常がまったく同じフレームの中に収まっている。
「ここ」と「そこ」の実際の距離はそれほどかけ離れているものではないが、
時代を遥かに隔てるイメージに満ちている。
わたしたちはその両極を行ったり来たりしながら、
日々の営みになんらかの希望を抱きたいと密かに考えている。
大西みつぐ
撮影地 台東区浅草
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D'Edo à aujourd'hui, l'histoire de l'urbanisme
a Tokyo n'a été qu'un renouvellement permanent.
On détruit (accidentellement ou non) et on reconstruit.
Tokyo est un « bric à brac » architectural,
avec peu de charme si l'on considère les constructions
indépendamment.
Mais la ville dans son ensemble est pleine de surprises
et de contrastes, un mélange de minéral et de végétal,
de l'infiniment petit à l'infiniment grand.
Une vie entière ne suffirait pas pour en découvrir tous les recoins.
C'est la plus belle ville du monde.
Lieu de prise de vue : Yotsuya, Shinjuku-ku
江戸時代から今日に至るまで、
東京は都市として、絶え間なくその姿を変えて来た。
偶然に、またはそうでないとしても、破壊と再建を繰り返してきたのだろう。
ひとつひとつの建物を考察すると、
魅力の少ない、建築学的には"がらくた"と言ってもいいような建築群である。
しかしひとたび、東京を連なりとして見つめてみると、
驚きとコントラストに満ちている。
鉱物的なものと植物的なものが混在し、
限りなく小さなものが無限大な広がりへと展開していく。
東京という街の隅々まで知ることなど、人生の全てをかけても不十分だろう。
その意味で、東京は世界で最も美しい街だ。
撮影場所:新宿区四谷
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人の重なり、モノの重なり、色の重なり、出来事の重なり。
都市の日常は、私たちの眼前に
乱雑でめまぐるしいほどの「飽和」を指し示す。
この混沌から逃げ出すことはそれほど難しくないのだが、
あえて、この時代の「標準街景」といったものに
どっぷり浸かってみるといい。
歴史はくり返すというが、
江戸時代の広小路の風景や下町の長屋の一角を
そこに思い浮かべることもできよう。
わたしたちの営みはそうして延々と今日まで続いている。
街に出よ!
誰かがそういった。
大西みつぐ
撮影地
台東区浅草・江東区白河
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"Dans les banlieues ouest de Tokyo, l'embourgeoisement a affaibli le tissu social. On se cache dans sa grosse maison. Dans l'architecture japonaise du 21eme siècle, on commence a apercevoir de grandes vitres, signes d'ouverture de l'interieur vers l'exterieur. Mais le verre est rapidement obstrué par des rideaux.
Pourtant la vie est bien la, dans la rue, sous nos yeux."
"東京の西の郊外では、高級化は、社会構造を弱体化しています。我々は彼の大きな家に隠れて21世紀の日本建築では、大きな窓、内部から開口部の兆しが見え始めています外側に。しかし、ガラスはすぐにカーテンによってブロックされています。
まだ人生は私たちの目の前で、通りに、確かです。"
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ひっそりと息づいているたった十数メートルの路地が
特別に懐かしいのではない。
ここで私は父や母が生きていた時代をしっかり見つめることに
自分なりの意味を見いだしたいと思うのだ。
それは本当の「豊かさ」や「希望」とはなんであるのかという
素朴な問いかけでもあるし、
人が暮らす匂いとはなんと心地よいものであるか
ということの確認でもある。
紙ヒコーキをそっと開いてみたい。
そこにはなにか文字か書かれていそうだ。
大西みつぐ
撮影地
文京区根津二丁目
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