先生は、これまで度々アフリカを来訪されていますが、アフリカに何を感じられますか?
僕はこれまでも何度もアフリカに行ってきましたが、毎回大きな力をもらってきました。つまり、バクテリアも含め、あらゆる意味での“異”との遭遇の連続です。お蔭で毎回ひどい目にも遭っています(笑)。 ただ、この半端でない“異”と出会うことで、人間も動物も免疫を得て、抵抗力という基礎体力の必要性を実感するんです。生物学的な見地からだけでなく、社会学的にも混沌から新しいものが生まれてきます。アフリカの大地が持つパワーは僕たちにとってはまさに“異”です。むき出しの未知や圧倒的な不都合と向き合うことで未来へ挑戦する力が得られるんだと僕は思います。 “異”や“不都合”を受け入れ、その刺激に立ち向かうという場面こそが人間を鍛え、前進させると、思います。そういう意味でもアフリカとアジアには未来へ発展するエネルギーを感じますね。
最近の環境意識についてはどのようにお考えですか?
自然と向き合うバランスシートをしっかり意識して暮らすことを提案したいですね。
具体的には、“自然を消費”したら、今度は“自然を生産”することに個人がそれぞれに尽力するという発想です。自然のお世話になるばかりで、自然の再生や循環に全く貢献していないことは、地球ファミリーの一員として問題じゃないですか? ただね、僕としてはこれを上から規則として一方的に押し付けるのは、どうかな? と思うんですよ。
"正しいこと"とは、他人に指示されて同意するものではなく、自分で見つけ出し、疑い、確認し、納得していくことで見えてくるものだと思います。 とりわけ、まだ人間になりきっていない子供に“正しいこと”を既成事実としてすり込み、彼らを確かな場所である都会のルールに押し込めてしまうと、彼らはきっと立ちすくんでしまうのではないでしょうか?
個人レベルで考える必要があるということですね。
自然環境への意識は自分の経験や見識の集積によって、より広い世界へ、そして未来への念い (オモイ) へと発展するものだと思います。現時点の規則や規定が全てではないのです。見えないけれど確実に進行している事実もあれば、逆に事態が改善されている事例もあるでしょう。ひとりひとりが意識し、考え、行動すれば、結果として環境問題を抜本的に動かすことができるのではないかと僕は思うんです。 地球で今、自分が生きている事実を立ち止まって受け止めることができれば、僕たちがやるべきことは自ずと見えてくるのではないでしょうか?だから、環境保全のひとつの方法論に過ぎないマニュアルを声高に語る風潮には、僕的には違和感がありますね。以前はどうしてもそうしたいというニーズがあって新しい技術が発明され、それが生活の場面で実用化され、生活スタイルが変った。でも今や、必要のない機能や利便性を訴求するモノが溢れ、何故それが必要なのか?という目的が見失われているように感じられます。だからこそ、今ここで、立ち止まる勇気が大切だと僕は思います。
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