見出し:第一部

 

写真:竹田津実先生

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まずは、先生が長年力を入れてらっしゃる「オホーツクの村」運動のきっかけについて伺えますか?

実は、僕にとって最初の大きな仕事「キタキツネ物語」の置き土産のようなものなのです。
この映画をつくったとき、写真集も出そうということになり、平凡社から本を出してもらった。せっかく立派な本ができたのだから、出版記念会をやろうと18人の仲間が集まった。映画の全国公開に先駆けて、その記念会で同時上映をしようということになった。イベントも賑々しく終わり、それで解散すればいいものを、元々仲良しの飲み仲間のノリで立ち上がった会だったので、このまま解散してしまうのも惜しいということになって、そして「小清水自然と語る会」というなんともくそまじめな名の会を作ったんです。そんな折、僕が勤務していた小清水町で、40ヘクタール* の森が相続の関係で切り倒されるというニュースを聞きました。それはもったいないということで18名のメンバーが一致団結し、この森の保全を次ぎの目標に定め、活動を継続しようということになったわけです。

*40ヘクタール=400,000u。東京ドーム(46,755u)の約8.5倍

 

どんな森だったのですか?

原生林だとか、特別の生き物が生息しているとかいう特別な森なんかじゃない普通の森ですよ。当時植林を始めて17年経ち、やっと森らしくなった程度の森です。40ヘクタールはそんなに大きな森じゃない。でも17年の間、育林し続け、それなりに育った木を伐採し、畑にして売ろうという話だったので、それはなんとか止めたかった。それで皆でお金を出し合ったり、寄付を集めたりして買い取ったんです。伐採となれば、数日で禿山になってしまう。17年かけて育ってきた一本一本の木の時間を大切にしてやりたかったのです。

写真:オホーツクの村 写真:オホーツクの村 コテージ

 

「オホーツクの村」は日本におけるナショナルトラスト(National Trust)運動の先駆けとなったと伺っていますが?

イギリスで始まったナショナルトラスト運動は、市民が主体になって自分たちの力で自然景観や環境を守ろうという考え方です。だから、僕たちもそうしただけですよ。役所や自治体に任せるのではなく、自分たちの頭で考えたことを実際に行動で実現し、その結果として育つ自然を子供たちにちゃんと残してやりたかった。

農家の人たちともよく話すんだけれど、昔は良かったと言って過去を懐かしむのではなく、僕たちがドキドキした美しい自然や森をもう一度ここに取り戻そうと。だって、今があるのは、過去に僕たちがしたことの結果であり、今ちゃんと自然と向き合い、行動を起こせば未来にはきっとその結果がでるわけでしょう! だから、「やるっきゃない」と僕らは思っています。

子供の頃に泥んこになって遊んだ川、走り回った豊かで魅力に溢れていた森、そんな自然をもう一度僕らの孫たちに取り戻してやろうという爺さんパワーが結集したってことかな。なにしろメンバーは皆、今では孫のいるような爺さんばっかりだからね!(笑)