見出し:第二部

 

写真:竹田津実先生

見出し:第2部

 

先生は、子供たちに森の中で様々な体験をさせるプログラムに数多く関わっていらっしゃいますが、どのような考えによるものなのでしょうか?

写真:オホーツクの村

子供を森の中で預かるという目的は実に単純。今の子供たちに僕らが子供だったころと同じような環境を与えて、自然の中で生きるということを自分で感じて欲しいということに尽きます。ここでのルールはたったひとつ、「死ぬ以外なら何をしていい」ということ。彼らに完全な自由を与えることから始めます。

でも普段、がっちり管理されて多忙なスケジュールに規制されている都会の子供は「何をしてもいい」なんて言われたことがないから、「何をしてもいい」なんて言われると、たじろぎ、しばらくはどうしていいかわからず動けないんですけどね。でも3時間もするとなんかしてる(笑)。大自然の中の暮らしに放り込まれ、しばらくは都市の便利な暮らしの習慣からぶつぶつ言っていても、3日もすると何でも自分でするしかないことに気づき始め、身の回りのことなど、ちゃんとするようになるんです。これは子供にとれば、親離れと自分が考えなくても事が進んでしまういつも都会の暮らしを見つめなおすチャンスであり、親にとっても子離れの始まりになります。なにしろ今どきの親たちは、少子化のせいもあって、子供を危険なことから遠ざけようとして、子供たちが正常に進化していく機会をある意味で奪っていますからね。

 

森の中では危険なこともあるのですか?

写真:オホーツクの村

都市は確かさが集積した空間です。誰もが約束した時間にやってきて、決まった仕事を決まった方法でやり遂げる。つまり都市にいると、個人がひとつずつの事象について考える必要がないのです。

これに対して、自然は不確かさの集合体、そこには危険はつきものです。「これが原因で、だからこんな結果になった」というような単純な理屈は通らない。さまざまな生物の営みが存在し、自然の摂理が作用し、その複合的な力学が重なり合った場所です。だから僕らはまず、子供たちに自分で遊びを作ることから始めさます。他人が作った道具ではなく、自分のつくった遊び方で自分を喜ばせ、それを他人にも教えて一緒に興じる。遊び方が思いつかないなんて、僕から見れば脳が劣化しているとしか思えない。脳はたくさん使ってこそ、進化し、自分にとっての本物や真実を考える力が養われるものです。だから、動物としての基本的な本能である危険から自分の身を守るという知恵、つまり生きる力を体得するには、まず危険の正体を、身をもって知らなければいけない。ただ、子供は自然の中に解き放つと、大人よりはるかに見事に危険を回避することができる。子供はつまり、大人より動物に近い進化の過程にあると思います。。

 

子供は"進化の過程"ですか。

そうです! 子供は(生物学的な)"ヒト"として生まれるが、まだ"人間"じゃない。ヒトはそれなりの進化(成長)の過程を通過して、そしてやっと人間になる。子供はまず縄文人のように狩猟と採集をして、自然と向き合い、自然によって生かされている自分の存在を実感するんです。この過程を通過してこそ、豊かな知恵と脳をもった人間へと進化できるんですよ。初めから自分で考えることもさせずに「これが正しくて、あれが間違い」なんていう浅薄な知識を詰め込むことは、脳の進化の過程を無視したやり方だと僕は思います。

大人の義務として、子供たちに自由に考え、行動する場所と時間を与えるべきでしょうね。そうすれば、子供たちはおのずから自由には危険が、行動には責任が伴うことを自分の力で理解できるはずです。

 

森の中で過ごす時間の意義は何だとお考えですか?

"立ち止まる時間"じゃないかな〜。普段の時間の流れ、いつもの暮らしのルールから離れ、自分を見つめる。立ち止まって、自分と周りの関係を考える。これが大切だと考えています。