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作家 立松和平さん インタビュー

 

最近では、明日山登りに行くぞと言って、前の日に精をつけるために焼き肉を食べたりしますが、本来は精進潔斎と言って、肉を食べず、五穀断ちをします。空腹でフラフラになって、護摩を焚いて読経をし、さらには滝に打たれて、本当にフラフラな状態で山に登るのです。なぜ、そんなことをするかというと、自我を消し去り、神仏と出会うためにするのです。自分が元気だと自我ばかりが目覚めてしまいますからね。西洋のアルピニズムのように山頂を制覇することが目的ではなく、己を山へ投じるという非常に“慎ましい”行為が日本の山登りであるわけです。

ところで、「1枚の菜っ葉でも全力を尽くして料理をしなさい」という道元の思想をご存知ですか? つまり質素な食材の菜っ葉でもそれが出来るまでの来歴を考え、自分はこれを食べるに値する人間か考え、食べなさいということです。菜っ葉の来歴を実際に想像してみてください。「これは私が作りました」、という生産者は存在するかもしれませんが、その人だけの力で菜っ葉はできたわけじゃない。蒔いた種が育つという現象は、土、水、酸素や太陽、色々な要因が合わせて成り立っているということを考えることです。1枚の菜っ葉が育つという自然現象と南極で起きている厳しい自然現象、そこに違いはあるでしょうか? 僕にはその全てが尊いものに思えてならないのです。

2009年10月29日インタビュー
*写真提供:国立極地研究所

作家 立松和平さん

 

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