編集部:地球上には「わからない」ことが満ち溢れている。しかしだからこそ人間は“未知”を探求し、新たな発見をし、文明は進歩する。しかし同時に、私たちは“地球というメカニズム”を簡単に分かった気になってはいけないのだという自戒を持て、ということでしょうか?
立松:そう思いますね。さきほどお話をした道元は「偏界かつて蔵(かく)さず」という言葉と中国で出会っています。この世界で「真理は隠されているわけではなく、人間の力では分からないことが多いだけなのだ」ということです。それを知ろうということこそが人間の英知です。自然科学というものは研究すればするほど分からないことに突き当たるのかもしれません。ただ今の科学の欠点は研究分野の細分化され過ぎて、隣の人が何をやっているかわからない状態になってしまっているように僕には感じられます。そういう意味で、南極では様々な分野の研究者が集い、同じ釜の飯を食って、力を合わせて日々の生活をする。交流の中でそれぞれの学問に向き合う、まさにここには“学問のひとつの理想がある”と云えるかもしれません。切磋琢磨、互いに競争をしながら、うまいかたちで知識のバトンが渡ればいいですね。