原田幸明さんインタビュー:第1章

 

原田幸明さん

 

「都市鉱山」に関する問題を考える上で、私たち生活者は、どのような切り口で捉えればいいのでしょうか?

世の中で話題になっている「都市鉱山」の意味と意義ですが、マスコミや報道で取り上げられている部分と私たちが考えている本質には大きな違いがあります。
日本には豊かな「都市鉱山」が潜んでいて、それは私たちが持っている携帯電話の中にある。だから積極的に携帯電話をリサイクルしましょうという話は、それだけで留まってしまうと少々困った見え方です。携帯電話のリサイクルはあくまでも、一部の典型例が取り上げられているだけであり、それが資源リサイクルの問題の本質ではありません。
よく、「都市鉱山」の鉱脈はどこにあるのですか? と聞かれますが、私は「企業の生産現場」の中にあると確信をしています。ただ、そこにはさまざまな問題が複雑に絡みあっており、有効にリサイクルされていない現実があります。その部分だけに焦点を当ててしまうと、そこだけの問題にされがちで、その結果、企業の現場の人達は困るし、肝心な一般市民には、自分たちには関係ない事柄のような気持ちにさせてしまうことになる。私はまず、一般市民たちが「都市鉱山」への正しく、広い理解の土壌を作ることが必要だと考え、まずは携帯電話を例に取り上げ、市民の皆さんに関心をもってもらいたいと思っているのです。
たとえば、「都市鉱山」以外にも、環境問題全般が同じような状況にあると思います。 たとえばレジ袋もそのいい例です。現実には「レジ袋」を削減しただけで、社会全体でどのくらいのCO2が削減されますか? もっと大きなインパクトがある、効果が期待できる削減方法が他にあることは簡単に分かっているはずです。しかし、今の時点ではこの運動が必要なのです。何故なら、本当に大きなもの、社会全体を動かすためには、社会を丸ごとカバーするようなコンセンサス作りがまず必要とされるのです。自分の足下をしっかり見つめ直し、自分の行為が本当に社会に、地球環境に役立っているのか? もっと効果が上がる方法は他にないか? そうやって、徐々に自分の視野を広げ、深く考えていくのが環境問題の本質だと思います。
どちらかと言えば、表面的な部分の議論だけに終始しているのが現状で、生活者にとってはその本質が見えにくくなっているように僕は感じています。

 

「都市鉱山」問題の本質はどのように考えたら理解できるのでしょうか?

現在、地球全体が「都市化」に向かって動いていることが非常に不安視されています。世界中の人間が都市生活を目標に、ライフスタイルの欲望を満たそうとすると、資源のキャパシティには確実に限界が訪れ、ゴミやCO2など多大な廃棄物が排出されるという状況は目に見えています。これは確かに深刻な問題です。しかし、この問題を解決するために、私たちが「CO2削減」というパラメーターだけに偏って判断してしまうことは、大変危険だと私は思っています。今までの人類の歴史を振り返ってみると、直面するリスクにはなんとか全部対応しているのですが、思いもかけない第三の要素の発生に気づかず、あっという間に足をすくわれているということが非常に多いことに、私は注目し、警鐘を鳴らすべきと考えています。CO2削減が重要な問題だからこそ、私たちは関連する事態が果たしてどうなっているのかを注意深く見て、考えなくてはいけないはずです。
たとえば、都市化による「飽和」をひとつの大きな問題と捉えるにしても、エネルギー問題、CO2問題、資源問題、資源を使うときに発生するナノ物質の問題、様々なことをトータルでリスクとして把握する視野が大切なのです。
地球温暖化に立ち向かうために、私たちはCO2を減らす技術開発を進めていくと、そこでは自ずと新しい別の資源が必要になってくるようなことが多々あります。もしそこで、その資源を巡って戦争でも起きたら、それは人類全体にとって地球にとって果たして幸せなことなのでしょうか?
かつては世界中で20%の国だけが資源を使っていたのですが、現在は残りの80%の国々もまた、同じように資源を使おうとしている。この事態を打開するには、文字通り世界が一丸となり、一緒に真剣に考えなければいけない問題のはずです。つまり世界全体で、「資源をマネージメント」していく発想を持つことこそが、都市鉱山というテーマを考える大きな入り口になるでしょう。

 

世界全体の「資源のマネージメント」に日本はどんな役割を果たせるのでしょうか?

原田幸明氏

かつて学校の地理の授業では、産業は資源があるところで盛んになるという教え方をしていました。たとえばドイツのルール炭田の“石炭”、そして“製鉄業”というように。
しかし1970年代に資源のグローバリゼーションが起きて以来、必ずしもそうではなくなりました。そして、それを推し進めたのは他でもない、私たち日本です。日本が世界中の良質な資源を集めて、いいモノを作って輸出し、一部の先進国ばかりを豊かにし潤してきた。だから今度こそ、日本が蓄積してきた技術やノウハウを駆使し、世界の国々と足並みを揃え、しっかりと資源マネージメントをしていかなければ、世界全体でこけてしまう、と私は考えています。
都市鉱山の問題は、目先のことでなんとか出来るという単純な次元の問題ではありません。一般市民は目の前にあることをすぐになんとかしたいと考えがちですが、同時に全体を視野に入れて見ることもできるはずです。今はまさに、こういう視点こそが求められていると思うのです。身の周りでできることを全て実行した上で、「こんなことをしているだけで、本当にいいのだろうか?」と自らに問い掛け、社会に問題提起する姿勢こそが大切ではないかと、思うのです。
生活者の皆さんは、身の回りの小さなリサイクルや省エネで満足するだけではなく、もっともっと大きな視野の下で問題の本質を見据えて欲しいと願っています。これは私の持論ですが、まずは自分たちが最低限の責任を果たした上で、「おかしい」という声が上がらなければ、社会は変わらないのです。僕たちが生活を営んでいる社会の構造や仕組みをまず知り、それを変えるために、広い視野を持っていただきたいと僕は念じています。これが今まさに、世界中の人々に問われているのでしょう。こんな状況下で一番危ない流れは、自分たちが何をやっても変わらない、だから法律で規制するべきだ、といった流れです。今はどちらかと言うと、そういう風潮に偏りがちな気がしています。ですから、「都市鉱山」のことをお話しする時も、目の前にある携帯電話の話だけではなく、日本全体ではどのくらいのリサイクルできる資源が潜んでいるのだろうか? という風に、大きな視野で考えてもらえるような材料を出すように心がけているんです。

 

世界中の資源をマネージメントするための具体的な施策、方法論についてはどのようにお考えでしょうか?

資源

天然の鉱石では精鉱(セイコウ)という工程を経て、発掘した資源の有用成分の濃度を高めて輸出します。ですからリサイクルされる都市の資源もそういう工程を踏み、価値を高めて国際取引をすれば良いと思うのです。この話を以前、国連環境局のワークショップで話をしたところ、一番喜んだ人たちは意外にもコスタリカの人達でした。コスタリカという国は、これといった資源はないけれど、ある程度の消費もしている国です。だけど消費量にしてもたいした規模ではない。そうすると、もちろん技術力の問題もありますが、自国だけで資源を循環させるにはコスト面でもなかなか難しいわけです。自分たちの適正量にあったシステムで都市鉱石が潜むモノを集め、それをある程度の有用な段階にまでばらして、近隣の国などと取引ができるようになればいいわけです。良いにしろ悪いにしろ、日本は世界中の資源を動かしてきたわけですから、そういう技術や仕組みを、二次資源として集めて、動かせばいいのではないでしょうか?