ところで先生の経歴を拝見すると、青年海外協力隊の一員としてケニアに派遣された経験をお持ちですが、ケニアでの生活から得られたものはありましたか?
ケニアでの生活ではまさに、カルチャーショックの連続でしたね。私がケニアへ行った時代は、ケニアが独立してまだ5年目で、青年海外協力隊自体も発足して間もないころで、現地の受け入れ体制など、まるで整っていませんでした。現地に到着するとイギリス人のボスが待ち受けていたのですが、十分に英語が喋れない私を前に、「話が違うじゃないか!事前の約束では英語が上手な、統計の専門隊員を送ると言ったのに!」と言われてしまったのを覚えています。ケニアにはビクトリア湖という湖があるのですが、そこで「テラピア」という魚を養殖することにしました。しかし当時のケニアでは、“養殖”という概念がありませんでした。魚にあげる餌があるくらいなら、分たちで食べた方がマシだという発想がその根底にあったのでしょう。さらに、生活様式も部族毎に違い、魚を食べる習慣のない部族もいました。仕事の面では大変に苦労しました。
しかし、日本では全く想像も出来なかった水道も電気もない環境で、現地の人たちと寝食を共にする親密な交流をすることで、実に多くのことを学ばせていただきました。彼らはとにかくモノを大切にします。繰り返し使えるモノは何度でも使いますし、食べ物も無駄をほとんど出しません。それは基本的に物が不足しているからでしょう。ケニアでの、シンプルで水道も電気もない田舎での生活、しかしそうした不自由、文明的な環境にあっても彼らはとてつもなく陽気な性格をしていました。そこには今日本で問題となっている環境問題はほとんどありませんでした。彼らの生活からはゴミも車の排気ガスも全く出ることはありませんでした。そういった生活体験というのは、その後も深く私の心に刻まれています。何が人にとって大切なものかという価値観をケニアで身につけられたと思います。なんといっても若くて元気の良い血気盛んな時代を異国ケニアで過ごしたことは、有形・無形の形で私に大きな影響を与えたのかもしれません。
“体験”というのは確かに何事にも代えがたいかけがえのないものですね。
そうですね。日本でも近年さまざまな環境問題が叫ばれ、リサイクルにしても、CO2削減問題にしても、多くの知識や理論は情報として私たちの頭では理解できます。しかし自然環境の大切さは環境教育の実体験をせずに、情報としての知識だけを詰め込んでも根本的な解決にはならないのではないかと考えます。ですから、日本シジミ研究所では、子供たちをはじめとして一般の方々にも実際に自然そのものを体験し、その意味やパワーが身に沁みるような環境学習の活動を行っています。
都会の方は、島根のような田舎では、子供たちが日々自然と触れ合いながら生活していると思われているでしょうが、今の時代はこの辺りでも「川や湖に入って遊んだことがない」「シジミがどんなところでどんなふうに生きているか見たことがない」という子供たちがほとんどです。小学生や中学生が研究所を訪れて、湖に入りシジミの生態を目で見て学んだり、シジミをみんなで食べたりすることを通して、宍道湖やシジミを体感する機会を作っています。彼らがここで実際に体験した記憶は大人になってもきっと忘れずに彼らの脳裏に残り、何らかの形で役立ってくれるのではないかと思いますし、それが宍道湖の自然について考えるときに必ず役に立ってくれると信じています。そしてさらにシジミの大切さを知りシジミを守らねばという気持ちを持つようになってくれればと期待しています。そして私は、宍道湖に船で出て、湖の中に入って行き、シジミを獲り、そしてシジミを食べる、そうした体験を一人でも多くの子供たちに与えたいと思っています。
シジミを通した宍道湖での環境学習を体験した子どもたちから送られてきた手紙の山
シジミ研究所を設立されて以来、宍道湖以外でもシジミについてさまざまな活動をされていらっしゃいますが、どのような活動をなさっているのですか?
ヤマトシジミが生息しているのは宍道湖だけでなく、日本各地の汽水域で見られます。しかし、近年は全国各地でヤマトシジミは激減しています。かつて全国で5万トン以上の漁獲量がありましたが、現在は1万5千トン以下になってしまいました。まだ毎年の漁獲量は減少し続けています。その激減の原因は、環境の悪化、生態系の乱れによるものです。
今、全国各地で漁師さんたちは昔のようになんとかシジミが獲れるように、シジミの資源をなんとか増やしたいと強く望んでいます。しかし、ヤマトシジミの研究の専門家はほとんどおらず、また各県の水産試験場でもヤマトシジミの資源増大に真剣に取り組んでいるところはほとんどありません。そこで、ヤマトシジミの調査・研究を人より長くおこなってきたということで、全国各地で講演に呼んで頂いたり、また各種委員会に呼んでいただいたりして飛び歩いています。
また、こうした問題を皆で解決するために、全国から漁業者をはじめ大学や県の研究者、企業人とあらゆる分野に縦断して参加してもらって、皆でいかにシジミ資源を増大させ、漁業振興につなげていくのかを勉強するために10年前から「全国シジミ・シンポジウム」を主催し、設立しました。そのシンポジウムのおかげで全国の人々とのつながりができました。その時に作った資料と集まった人々に執筆を分担してもらって、現在ではシジミに関して唯一の本である「日本のシジミ漁業」を出版しました。この本は主として日本のシジミ漁業の現状と問題点について書きました。幸い、全国の多くの漁業関係者に読んでもらっています。そして、昨年2007年に、一般の人々にも広くシジミの大切さを知ってもらい、シジミを保護しいつまでも存続させるため「シジミの日」を4月23日に制定しました。
先生の考える「環境保全」とはどういうことでしょうか?
私の中では「環境保全」は「自然環境の保護」であり、健全な生態系の復元・再生と置き換えています。また、その中でも汽水の生態系の復元・修復・再生が私の環境保全に対する基盤となっています。
生態系とは、そこに生きている全ての生物とそれらを取り囲む無生物環境(無機的環境)の各構成要素が複雑に絡みあったシステムのことですが、私は環境というのはいつでもそこに住む生物との関係を主として考えなければ意味がないと思っています。
今、シジミをはじめとして、河川湖沼に生息する生物達は激減しています。それは、私達が欲望を満たすため、健全でバランスの良かった生態系を乱し、破壊してきたツケが回ってきたためだと思います。従ってヤマトシジミやワカサギ・シラウオなど重要な水産資源の復活や回復を図るのであれば、その生息する生態系を健全であったころの生態系に復元・修復・再生することが何よりも大切なことだと思っています。ヤマトシジミが気持ちよく生きている汽水の生態系を取り戻したいと思います。
先生の今後の活動の目標と未来に向けたメッセージをお聞かせいただけますか?
私は30年以上の長い間、漁業者をはじめ、大変多くの人々のご指導や協力を頂いて好きなことをやらせて頂きました。本当にありがたく思っています。これからは、これまでにお世話になった人々にできる限り恩返しができればと思っています。そのためには、65歳になりましたがもう少し体力・気力の続く限り「日本シジミ研究所」を守り、調査・研究を続けていきたいと思います。そして、現在シジミ漁業が直面している数々の難問に取り組んで行きたいと思っています。
また、研究所には現在、栃木、福岡、広島などから集まった、若くて活力のある研究者が頑張ってくれています。これらの若い研究員が、情けの解る研究員に育って欲しいと思いますし、彼らを育てるのが私の役割と思っています。そのためにはうるさい「がんこ親父」の役割を今後も果たしたいと思っています。そして私自身も、これからも一日でも長くシジミの調査や研究に夢を続けられるよう、気力・体力を維持し、まだまだ頑張りたいと思っています。
(2008年2月8日、日本シジミ研究所にてインタビュー取材)
編集部が日本シジミ研究所を尋ねた日は、あいにくの雪空。シジミ研究所で取材をしていると、どんどん天気が回復し、夕方には、絶景で有名な宍道湖の夕日も! 日本シジミ研究所は、宍道湖で一、二を争う夕日鑑賞スポットの「宍道湖ふれあいパーク(鳥ヶ崎)」の西隣にあり、この日の幸運に感激しながら研究所を後にしました。