先生は永年に亘り、ここ宍道湖でシジミの研究をされていらっしゃいますが、そもそもシジミを研究対象としたきっかけを教えていただけますか?
大学卒業後、青年海外協力隊としてケニアに行っていましたが、帰国後島根県の水産試験場に入りました。当時、汽水湖である宍道湖・中海は、1950年代に干拓・淡水化が計画され着々と事業が進んでいる時期であり、私に与えられた職務分担の研究は、淡水化後の漁業振興策を検討するための基礎調査を行なうことでした。こうした調査を進める中で、宍道湖の代表的な生き物であり漁業資源であるヤマトシジミの重要さを強く考えるようになりました。こうした調査を多くの人々の指導と協力を受けて行なったことをきっかけとして、如何にヤマトシジミが大切なものであるのか、そしてかけがえのないものであり、決して失ってはならないものであるかと確信することになり、以後、私の大切なライフワークとなっていきました。
また、国家的大プロジェクトである中海・宍道湖干拓淡水化事業において、県の水産試験場の組織の中でヤマトシジミを残すため淡水化事業に反対することは大変につらいことでしたが、反面、水産研究員としてのプライドに火がついて、さらにヤマトシジミへの思いも強くなり、宍道湖・中海の真の水産振興策は、汽水としての環境を守ること、ヤマトシジミを守ることであると思いました。
シジミを専門に研究する機関というのは他に例を見ないと思うのですが、県の職員を辞されて、研究所設立をどういう経緯で決心されたのですか?
私は30年以上、一貫して内水面、特に汽水湖においてヤマトシジミを中心に漁業振興のための調査・研究を続けさせて頂きました。その間、県の水産試験場という組織の中でもかなり我儘にやらせてもらいました。そして懸案であった淡水化も中止になり、新しい内水面水産試験場も設立することができましたので、研究者としての私の第1回戦は終わったと思いました。次は私の60歳を過ぎての新しい生活、第2回戦に組織を離れ、自分で自由にヤマトシジミの調査や研究をやりたいと思いました。
そして2002年に県を辞して、日本シジミ研究所を設立しました。当初は一人で宍道湖漁協のワカサギの孵化場の一部を借りて始めましたが、その後、生き物や環境に関心の高い若い子たちが一人、また一人と集まって来まして、6年過ぎた今は6人に増え、皆で力を合わせて何とか頑張っています。若い人達と一緒に、シジミのこと、魚のこと、環境のことなど好きなことをやれて、恵まれた日々を送らせてもらっていると思います。
シジミを取り巻く環境は、その水域環境の乱れによる資源の減少、大量へい死など大きな問題を抱えていますが、何とかその問題解決に役立つ様な仕事をしたいものだと考えています。また、シジミ研究所は単に研究や調査を科学的に行なうのみでなく、もっと大切なことは、その水域で生活をかけて毎日、毎日、その水域を見て、魚を獲り、シジミを採っている漁業者の意見を何より大切に聞いて、そして、自分の目で見て、自分で体験したことを何よりも大切にしながら調査を行ないたいと思っています。シジミ研究所がそうした場所になればよいと願っています。
“シジミが生息できる環境”というのは、どのような環境なのでしょうか?
まず、汽水でないとヤマトシジミの子供は産まれることができません。ヤマトシジミが産卵をし、繁殖していくための絶対条件が汽水環境であるということです。ヤマトシジミは雌雄異体であり、雌は卵を、雄は精子をそれぞれ出水管から放卵・放精し水中で受精します。ここで大切なことは、ヤマトシジミは淡水では、浸透圧の関係で、細胞膜を通して水が卵の中に入ってゆき、卵は膨張して、受精・発生が不可能となります。また、反対に海水中では淡水と逆に卵の中の水が細胞膜を通して外に出て、卵はしわしわになって受精・発生が不能となります。
全国の河川湖沼では、昭和40年代から高度経済成長の時代に水利用や干拓のため多くの汽水湖が淡水湖へ淡水化され、また河川の感潮域(汽水域)は河口堰(塩止堰)のために淡水化され、ヤマトシジミの漁場はことごとく消滅してしまいました。宍道湖もまた、干拓淡水化事業のために消滅する運命にありましたが、幸いにも淡水化事業が中止になったお陰で宍道湖のヤマトシジミは生き延びることができました。
そしてもう一つ大変重要なことは、水中に含まれる溶存酸素量です。ヤマトシジミの生息に欠くことのできない最も重要な環境要因です。汽水湖は富栄養化しやすく、しかも塩分躍層のために湖底や川底の水は酸素がなくなり、生息できなくなり、大量へい死の原因になります。よって、ヤマトシジミの生息環境としての大条件は汽水湖であること、そして夏季に底層水に充分な溶存酸素量がある環境が必要です。大変残念なことに、我が国では多くの汽水域の水の利用のために淡水化して富栄養化が進み、湖底に酸素のない貧酸素水塊が広がり、ヤマトシジミの良好な環境を失ってしまいました。これから私達は失った良好な汽水環境を少しでも取り戻すことが必要だと思います。