五感が目覚める森の時間
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鮮やかな緑に手が染まりそうな新緑の季節を迎えた北海道、6月3日の富良野の森には柳絮(リュウジョ)と呼ばれる樹木の種子が無数に舞っていました。約束の時間より早めにゴルフ場のカートに乗って現れた倉本さんは樹木の種子が無数に舞っていました。約束の時間より早めにゴルフ場のカートに乗って現れた倉本さんは木の香がしてきそうな新築のアトリエで早速、「森を語るインタビュー」が始まりました。 光をたっぷり取り入れる大きなガラス窓で囲まれた倉本さんの仕事場、そこには「創造の場」ならでの独特と緊張感と 確かな時間が流れていました。
第一部 地球の健康診断

ぼくらはここで葉っぱを作っている倉本さん

編集部: 倉本さんが富良野の地で取り組んでいらっしゃる「森の再生」について伺えますか?

倉 本: 僕たちはここで木を一本づつ植え、「森をもう一度取り戻そう」としているわけだけど、 世間一般で、「森を元通りの姿に戻す」という「森林再生の目的」がはっきりしていないように感じますね。 林野庁も、環境庁も「森が欲しい、森を作ろう」と連呼しながらも、 「何故森が必要なのか?」という核心となる理由も目的も明示していないように僕には見えるんです。

人類の歴史が始まって以来、森というものはずっと木材の畑でした。 僕たち人類は、「森の樹冠」から出てきた霊長類ですから、森はまさに「ふるさとそのもの」であるということは事実です。 でも僕の中では、そういった経緯からではなく、「森林を再生する目的」がはっきりしています。 「森で何が一番重要か?」と聞かれれば、それは「葉っぱ」。 
「葉っぱ」は光合成をし、二酸化炭素を取り込み、酸素を出してくれる。 酸素は、木や草の葉っぱたちが作ってくれているんです。 さらには、水を貯水するというのも「葉っぱ」の力があってこそ。 森に雨が降ったら、「葉っぱ」は無数の傘となり地表にいきなり雨がたたきつけるようなことがないようにしてくれる。 森の地面は散った「葉っぱ」が積もって柔らかなスポンジのように年中湿っている。だから水はゆっくり地面に沁みこみ、 地面は適切に水を湛え、森は自然の貯水池、つまりダムの役割を果たしてくれる。 つまり、僕が考える森の一番大切な機能とは、木の幹ではなく、「葉っぱ」なんです。 人類の考え方というのはまさに「幹を見て葉を見ず」だったように思います。

近年、3兆円の赤字に悩む林野庁は各地の森を次々に潰してしまった。 ところが数年前、「酸素」とか「水」という公益的な観点から、全国の森を評価したら 一体どのくらいの金額に換算されるのか?を、日本学術会議に委託し、 「森林の経済価値」を「公益評価」として算出してもらったんです。 すると、なんと年間で76兆円という数字が出てきてしまった! 我々は自分たちの生命維持に一番大切なものである酸素や水を「当たり前のもの」とし、 今まで誰ひとりとして、この貴重な資源への対価を払ってこなかったんです。 人間という愚かな生物は何事につけ、お金に換算しないとその価値が実感できない! しかし、この厳然とした事実に気づいたものの、誰も森に投資しようとか、お金をつぎ込もうとはしないんです。

「森が欲しい」、「森が必要だ」と言っても なんとなくきれいだからとか、心が休まるから、癒されるとか、文学的な言い方に置き換えてしまい 「何故森が我々にとって必要なのか?」という根本命題を具体的に論議されないことにこそ、問題があると思うんです。 そんな時、僕の住んでいる富良野の大きなゴルフ場が閉鎖された。 これはいいチャンスだと思い、僕は「森の再生」を始めたっていうわけです。

編集部: 昨日、富良野自然塾が主催する自然環境プログラムに参加し、日本の国土の70%が森だと伺いました。

倉 本: 正確には68%です。 日本文化は古来、木によって築かれてきました。ですから木を常に必要としてきました。 たとえば、このメモ用紙だって木から出来たものです。 では「この紙が何処から来たか?」と言えば、日本ではなく、他の国から来たものです。 地球上の森林の面積は本当に少ない、地球の陸地の約6分の1くらいというところでしょうか...。 そのうちの6割から7割が熱帯林で、ジャングルはアマゾンとかマレーシアに集中しています。 これらのエリアから日本はたくさんの木材を輸入していますよね。 さらに、熱帯林エリアでは焼畑農耕とか、牧場の開墾とかのさまざまな理由もあって 貴重な木材がどんどん切りだされている。統計によれば、世界中で毎年、日本の40%にもあたる広大な面積の森が消滅しています。 現在のペースで、熱帯林の伐採が100年続けば、森は本当に消滅してしまう計算になる。これはまさに緊急事態なんです。

熱帯林は地球の何10%もの酸素を供給し、地球上の空気の清浄化に役立ってる。 その「ありがたい森」がこのままでは消滅してしまうかもしれない危機に陥っているというのに、我々人類は相変わらず生命活動よりも 経済活動ばかりに目を向けている。これはもう異常としかいいようがない事態です。

「地球温暖化」ではなく、「地球高温化」倉本さんの帽子
編集部: 森林伐採がここまで進んでしまった原因は何だとお考えですか?

倉 本: 僕自身、何度もこの異常事態の根本原因は一体何なのだろう?」と考えてみました。 人類が類人猿から「ヒト」に進化してゆく過程で、ヒトの脳は確実に発達してきました。 人間の脳ミソは身体全体の2%ほどの大きさなんですが、 脳だけで、人間が呼吸して体内に取り入れる酸素の総量の約20%を使ってしまうんです。 脳は肥大化し、「頭が良く」なり、ヒトは経済とか科学とか、いろんなことをやり始めた訳だけど その結果、非常にまずい発想傾向を身につけてしまった! つまり「サボろう」、「もっと楽をしよう」と考え始めてしまった。 以来、ヒトは自分のエネルギーを費やさずに、ひたすら「楽する」方向に向かって走り出した。 3メートルも歩けばテレビのスイッチが入るのに、リモコンを使う、 そのスイッチだって、ぱっとつかないと気に入らないから、待機電力を使う。 一事が万事、人類は四六時中「サボる」ための方法や手段ばかりを考え始めた。 「自身の替わりに動くエネルギー」探しをしていた人類が 目をつけたのが石炭と石油だった。 化石エネルギーの利用は、文字通り人類の歴史を一挙に変えた。 だけど、石炭は約3億年前から蓄積された植物による化石燃料だし、石油はもっと短い期間で蓄積された エネルギーですから、いずれも限りある資源なんです。 これらのエネルギーは地下に埋没していた炭素の集積体のようなものですから それを燃せば、二酸化炭素はどんどんどんどん空中にばら撒かれてしまう。 これが温室効果というものを生んで、地球が「暖かく」なる、正確な表現ではどんどん「熱く」なってきた。 世の中では「地球温暖化」って言葉を使っていますが、僕は非常に不謹慎な表現だと思います。 現在の状況は「温暖化」ではなく、明らかに「高温化」です。 「地球温暖化」は、「Global Warming(グローバル・ウォーミング」という英語を科学者が最初に「温暖化」という 問題の核心にそぐわない訳語をつけ、それを政治もマスコミもまじめに検証することもせず、安易に使ってしまった。 この功罪は大きいと思います。 地球の歴史を振り返ると、我が地球は何度も高温化という異常事態に遭遇してきています。 高温化の後には全球凍結の時代が来たり、 ハイパーハリケーンという、300ヘクトパスカルくらいの台風が発生し、常時風速300mという強風が 何千年も荒れ狂うという過激な時代も経験してきた。 地球という星は過去において、灼熱地獄、凍結地獄、それに暴風雨地獄など、 たくさんの災害にあってきたけれど、それらは全部、自然が引き起こした災害なんです。 でも今、直面している異常事態は違う。「地球に住む生物のひとつの種」が人為的に作り出したものなんです。 そして、その元を質せば、人間がサボることを考え始めたことにあると僕は思うんです。

我々は本来自分のエネルギーを使って生きる動物です。これは人間に限ったことではなく、あらゆる動物も然り。 でも、代替エネルギーを使って暮らそうなんていう動物はいない。 「道具を使う猿」を凄いとか偉いとか言うけれど、 僕に言わせれば、あれは「退化」、つまり「悪い方向に進んだ」ってことでしかない。 他の動物たちは道具を使わなくたって、ちゃんと食ってるわけでしょう? でも、ここで人間流にものを考えるから 「道具を使う猿はすごい、えらいもんだ」っていう発想になってしまう。 このあたりに「大きな間違い」があると思いませんか?

さて、その人類は?と言えば、サボって自分のエネルギーを使わないのでどんどん筋肉が衰える。 そうすると、身体に支障を来たし、わざわざ高い金を払って、ジムに通い、 「何の生産性もない重いモノ」をあげたり下げたり、「何処にも行き着かない自転車」を漕ぐという なんとも不可思議な行動に出てくるわけです。 この事態は僕に言わせれば、人類はもうヒトではなく、別の生物になりつつある。 仮に名前をつけるなら、「怪物X」。 猿、チンパンジー、そして類人猿を経て、やっとヒトになったけど、 人間という「種‐ヒト」はそろそろ終焉を迎えているのかもしれませんね。 少なくとも六本木ヒルズに住んでいるような人類は、僕に言わせれば、全く別の人類ですね。 未来についてポジティブなメッセージをすべきでしょうが、今の僕には楽観的な意見は言えないな。

「不毛の地」とは
倉 本: ところで、世界中には「不毛の地」ってものがありますが、実は日本にも「不毛の地」があるんです。 ご存知ですか?

編集部: どこでしょうか?

倉 本: 「不毛」というのは、文字道り「草木が生えない」ことですよね。ですから都会や道路は文字通り「不毛の地」です。 アスファルトには草木が生えない。「文明の発展」はある意味で「不毛の地」を増やす行為でもあるです。

「便利」を優先し、「不毛の地」を増やしているのが文明の姿であることを我々は忘れてはいけない。 「不毛の地」ってのは文字道り「人類=生物が生きられない場所」なんです。 では、不毛の地でも何故、皆が食って生きられるかって言うと、「有毛の地」からものを届けてもらう 運搬手段を用いることでサバイバルしているだけで、本来はおかしな状況なんです。

環境との共生を調査するため、10年ほど前にドイツに行った時の状況ですが 当時、ドイツの学校では、校庭のアスファルトを剥がすという活動を熱心にやっていました。 特に校舎の縁のアスファルトをはがして、そこに土を戻し、草花を植えていました。
僕は今こそ、「不毛の地」について真剣に考えるべきだと思っています。 アスファルトは水を吸わない、そのアスファルトで地べたを覆ってしまう都会の姿は、イレギュラーなんです。

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