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■第四章 価値を生み続ける都市 編集部: 新しい時代にあって、都市が継続的に発展するためにはどのような選択があるのでしょうか? 藤田: これはさまざまなレベルで活発に議論されるべきテーマでしょうね。 ただ産業や経済は“まちの発展”にとってエンジンのようなものであることを忘れてはいけないと思います。 例えは“文化都市”というコンセプトを打ち出すにしても、経済理論のバランシートに合ったプランでなければ、継続できません。その意味で、産業があり続けるということは、都市を支える両輪のひとつを確実に確保することを意味します。
実は“環境・産業共生”という考え方は日本発信のアイデアではありません。1970年代にデンマークのカルンボという街で始まり、その後、“エコタウン”という概念が世界に広がりました。その後アメリカでのミネアポリスのエコ・インダストリアル・パークなど、世界各地でオリジナルなアプローチで展開されています。ミネアポリスのグリーンインスティチュートでは、ゴミ処理施設の建設への住民からの反対運動が始まりでした。ミネアポリス市当局が市の中心部から外れたスラム化が進行しつつあったエリアにゴミ処理の中継施設の建設を発表して、これに住民が反対し、その対案として“リサイクル・タウン”の建設がスタートしたのです。住宅廃材の展示場を作り、それぞれのパーツを専門家がひとつずつきちんと評価し登録。この登録が終わると品質別に展示・販売できるという合理的なシステムを作り上げたのです。
この“リサイクル・タウン”の“専門性の高さ”と“管理された質”が魅力的な住宅関連資材の中古マーケットとして、広く一般の評価を受けたのです。 売買には地域貨幣の一種が用いられています。いずれにしても、アメリカという社会では、公金(税金)の導入を厳しく市民が審査し、しかも自分たちも率先して行動を起す市民運動が成熟している社会ならではのパターンでしょうね。
編集部: 自分の住む町、働く町を選択するにあたり、どこに価値基準を置くか?これは21世紀の日本人にも問われる資質になるかもしれませんね。 最後に先生に“産”“官”“学”という3つの枠組みにおいて、“学”が果たすべき役割は何であると思われますか? 藤田: 当然、研究者として研究・評価などさまざまな専門的な役割は別として、最近実感することがふたつあります。 一つ目は、現在起こっている事実を、異なるカテゴリーに属する方々に正確に伝えるメディアになること。科学的な視線、論理的な評価を下せる第三者的な中間機能を果たすメディアとなることです。 ふたつ目には、中・長期な視点で様々なデータを横断的に統合し、各分野に提示し、かつ状況をマネージメントする専門家、または総合的なコーディネーターという立場になること。 以上の2点が期待されていることを実感します。 まだまだ力不足のところもありますが、公正な視点で、誰にでも分かる言語で私たちが向うべき方向性を分析、提案する存在として、よりアクティブに社会にコミットしてゆければと思っています。 【END】 |
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▼PAGE1/“End of Pipe”(=末端処理技術)から循環型へ
▼PAGE2/今、川崎で起こっていること ▼PAGE3/100年のスパンで都市をデザインする。 ▼PAGE4/価値を生み続ける都市 |
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