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私たちは何をすべきか

Q.それにしても、どうして日本の森林は危機的状況に陥ってしまったんでしょうか。

 目先のお金しか見てこなかったからだ、と思うなぁ。僕はかつて、日本の原生林――ほんとの森ですね。その多くが伐られた理由は、太平洋戦争だと思っていたんですね。戦中戦後、日本にはお金がなくて、大勢の人の家が焼かれたから。でも、実はそうではなかったんです。森の破壊は、田中角栄のあの時代から始まりました。これは、林野庁の友達がデータを見せてくれたので、確認しています。あの頃から、バーっと原生林を伐り出したんです。「伐り出せ」という命令だったんですね。
 そのために、森林関係者には相当、お金が入ったんですよ。あの時代は営林所のオフィスに素晴らしい絵が飾ってありましたよね。
 ところが、伐りすぎてやがて森がダメになるという状況になった。すると、原生林を伐った代わりに杉を植えたんですね。今度は、九州から北海道まで単一種で、ヒノキ、杉、カラマツを植えろ、という命令が出たんです。
 政府や役人のその命令に対して、どろ亀先生をはじめ、いろんな先生が「違う」と言ってましたけれど、誰も全然聞く耳を持たなかったんですよ。杉やヒノキ、カラマツのほうが高く売れるからというわけです。
 でも問題は、現実にはそれらは高く売れていないってことなんですよ。安い輸入材をどんどん輸入するから。だから、山を持っている人たちはもう、山からお金が稼げなくなる。そうすると、地主がうまい話があると言って、“儲け話”を持ちかけるんです。「この沢に泥を捨てたい。平らな土地をつくってあげる」とか言うんですよ。そして、持ってくるものはゴミ。産業廃棄物なんです。産業廃棄物で沢を埋めてしまう。そうすると、水源地が汚染される、という悪循環です。さらに恐ろしいのは、政府からさえも国有林をゴミ捨て場にしてくれ、という話が出ることです。

Q.ニコルさんがお手本になさった、英国ウェールズの「アファン・アルゴード森林公園」はどのようにして再生したんでしょうか。

 第二次世界大戦が終わって、僕は国へ帰りました。すると、栄養不足の子供たちが大勢いたんです。工場も破壊され、生活にも困っていた。一言いいたいんだけど、戦争でやられたのは、日本人だけじゃないんですよ。
 元兵隊だった人々は戦争の傷跡を抱えながら、豊かな心を取り戻すために子供たちを森に帰さなければダメだ、と気づいた。しかも、その森はもともとの森でなければダメだ、と思ったんですよ。
 1950年代になると、政府はエネルギー源を石炭から石油に切り替えた。すると炭鉱に従事する大勢の人々の仕事が無くなったんですね。何か手を打たなければダメだ。ウェールズの山には、カラマツばかりが植えられました。手入れをするお金もない。そんなとき、ボタ山が大雨でくずれ、真下にあった小学校で大勢の子供たちが死にました。みんなは怒り狂った。ボタ山を放っておいた行政にも怒った。ウェールズの人々はケルト人ですからね。ケルトの独立運動が激しくなった。もし、ケルトの独立が実現したら、ロンドン(中央政府)はやっていけないと思ったんでしょうね。それで少しお金を出した。その資金も活かして、ボタ山を森林公園に変えていこうとしたんです。そして、実際に森を再生ました。それを見たとき僕は、喜びと希望がふつふつと湧いてくるのを感じました。
 南ウェールズの森はまだまだパーフェクトじゃないですよ、でも、たしかに経済が上向きになってます。荒廃していたころ、ウェールズの木の面積は全体の5%だったんです。いまは60%ですよ。それは、ひとえに地元の人の努力です。教師たち、大学、役人、政治家、NPO、NGOと企業がいっしょになって、何が大事かに目覚めて、それを実行したんです。

Q.戦後50年という時の流れの中で、日本とウェールズはまったく逆の方向に進んだんですね。日本はどこで間違ってしまったのか、どうすればもう一度、方向を改めることができるでしょう?

 僕がはじめて日本に来た1960年代、日本人はよく働いてましたよ。それに、日本は子供の天国だなぁ、と思った。山に行くと、どこにでもちょっと泳げる川があって子供たちが泳いでました。海もきれいだった。
 僕はね、畑仕事をする日本人を見て、「日本人はfarmingをやらない、gardeningをやってます」と友人たちに話したものです。それほどに田畑が美しかったんですね。
 当時、僕は埼玉県の東村山に住んでたんですけど、そこの農業も本当にきれいだった。いろんな作物を作ってました。里山から葉っぱを集めて肥料にして、農薬もごく少なくしか使わなかった。
 だから僕は、日本人は勤勉でよく働くというイメージをもっていたけれど、いま、それはウソになってしまいました。ボーっとしている人ばかり増えてしょうがないんですよ。日本の国民は、自分たちで選びさえすれば、本当に国を変えることができるのに、日本人全員がこうしたすばらしい特権に、もう十分な価値を感じていないように見えますよね。ずっと怠けてきて、自分たちのたくさんの権利や自由に無関心になってしまったんではないでしょうか?
 例えば、減反政策によってお米をつくらなくても補助金が入るようになったでしょう。怠けてしまうんですよ。怠けるように、社会が動いている気がして仕方がない。
 不況、不況だというけれど、日本の経済を復活させるために何をするべきか。金融政策も結構だけれど、まず川、海岸、森の復活させなくてはいけない。それをやれば、経済は立ち直りますよ。なぜなら、人が直るから。働くようになる。できないことないよ。you have to work! 
 僕は、日本をずっと信じてきました。だから、黒姫に住みついて土地を買って、自分でやってみせてるんですよね。でも、その土地を買うとき、僕の意図を汲んで、地元の人が協力してくれるかというと、とんでもない。できるだけ、土地の値段を高くしようとしますよ。お金が入れば税金を払わなくちゃいけないでしょう。すると、全員が自分の税金を「あなた、払え」って僕に言うんです。僕は全部わかりましたと言って払ってきました。CMとか本で稼いだお金は全部、森にしたんです。
 2002年には、アファンの森を寄付して「C.W.ニコル・アファンの森財団」をつくりました。財団をつくるためにも、お金をつくらなければならなかった。僕にはもうなんのお金も残っていません。僕はいま、63歳です。あとどのくらい生きられるかわからない。でも、僕が死んでも、小さな森が残る。すると、未来の人々がきっと、ニコルは正しかったとわかってくれるだろうと思うんです。
 アファンも森をつくろうとしたのは、はじめは怒りからでした。日本が大好きですからね。森が破壊されていくのが耐えられなかった。でも、森づくりをやりながら、怒りがスピリチャルなものに変わっていったんです。
 僕は日本の国籍をとって、ケルト系日本人として生きています。日本人はよく役人に頭を下げるでしょう? でも、僕は少数民族だから役人なんて!(笑) それに、どろ亀先生のバカ息子だから、どんなに偉い人でも、バカだと思ったら「おまえはバカだ」と言いますよ(笑)。
 2002年8月25日、「アファンの森」と英国ウェールズの「アファン・アルゴード国立森林公園」とは、森林文化や技術の交流を目的とした姉妹森締結を結びました。黒姫のアファンの森は、ウェールズの「アファン・アルゴード森林公園」と比べればはるかに小さいけれど、僕はここに未来につながる種を蒔いておきたいんですよ。>>PAGE-3

 ※ニコルさんの財団の活動を応援したいと思う人へ C.W.ニコル・アファンも森財団のホームページには、さまざまな関わり方の案内が紹介されています。
http://www.afan.or.jp/

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