>>PAGE-4 コミュニティで暮らす幸せ ――人生をよりよくするために、私たちはかつての日本人の暮らしを見直す必要があるかもしれませんね。 私はアメリカの東海岸出身ですが、あちらは日本人と感覚が逆なことが多いんです。例えば、アメリカではおしゃべりの方がインテリ。日本では逆でしょう? また、ボストンの人たちは古い家に住むことを自慢しているんです。新しい家を作るとちょっとはずかしい。先祖から受け継ぐものをとても大事にします。古いほど価値が高いんです。私が故郷で受けた一番大きな影響はこのセンスですね。 長屋の近所の人たちはいろいろな古いものをくださった。私には、誰かが使ったもの、例えばシミのあるタンスがすごく価値があるんです。昨今の日本人はどんどん新しいものに変えようとしていますね。どちらかというと、現代の日本の価値観は西海岸のカリフォルニアに似ているような気がします。昔ながらの、古いものを大事にする価値観を見直してもいいかもしれません。 古い小物も見直せば、いろいろな使い方がありますよ。例えば、風呂敷。みんなが昔のように風呂敷を持って出かけるようになったら、スーパーのビニル・バッグがいらなくなりますよね。ドイツではただでビニル・バッグを提供しません。消費者が必要ならお金を出して買うんですね。環境のためにそうなりました。ビニル・バッグは美的にも日本に合わないと思います。綺麗な服を着てビニル・バッグを下げていると、なんだかゴミの袋を持っているようにさえ見えますね。 昔の伝統的な生活は環境にとても優しい。可能なものは昔に戻すようにしたら、と思うんですが。 私は風呂敷で包むのがあまり得意ではないので、買い物にはイグサを編んだ買い物籠で出かけます。風呂敷は、座布団のカバーにしたり、テーブルクロスにしているんです。うちには猫がいるので(カブキとオカグラ)、猫の毛の洗濯がたいへん。風呂敷のカバーやクロスは洗濯が楽でいいですよ。私は昔の大胆な柄のものが好きで、よく探して買い求めます。長屋のときは、2階の壁があまり好きではなかったので、風呂敷を壁紙代わりにしていました。素敵でしたよ。 ――暮らし方は、何を幸せと考えるのかの表れですね。 これは、資本主義の問題でもあります。私は共産主義がいいとは思いませんが、いまの社会は資本主義が進みすぎて、買い物とモノが中心になってしまったきらいがあります。企業は私たちが必要のないものまで作って宣伝します。例えば、ゴキブリを退治するために、人体に害のある化学的な薬品を買わなくてはいけないような気持ちになる。でも、私は近所の方に教えていただいて、ホウ酸と小麦粉を1対1で練ったホウ酸だんごで長屋のゴキブリを一掃した経験があります。ホウ酸は1箱500円程度。お金をかけず、また環境に負担もかけずに退治することができる。でも、化学的な商品を買っていたら、何度も何度も繰り返し買いつづけなければいけなくなるように仕組まれてしまうんです。 人間はリッチになりすぎると、生活が悪くなるように思います。なんのために生きているかが問題です。私もいつも「どういう制度がいいんだろう」と考えています。使い捨てのものは作らないようにできないものか、と。これは、ビジネスにはマイナスな考えかたでしょう。でも例えば、一つのテレビを買ったら、ずっと修理を重ねて見つづける。そうしたら、環境への負荷は随分減るでしょう? 今は、どんどん新しいものを買わされていますから。技術は進歩したけれど、それで本当に生活はよくなったのか、という問題がありますよね。今朝もビデオがDVDに変わりつつある、というニュースがありましたが、みんながDVDに移行したら、いまのビデオデッキやテープは捨てなくてはならなくなりますよね。商売にはいいけど環境に悪い。 つまり、どこかで現在の生産活動、消費活動に対するブレーキが必要です。 人間にとって何が幸せかを考えていくと、人と人との関係、縁が一番大事なんだと思えるんです。いろんな人と知り合いになって、いろんな人と毎日話す。そこから刺激を受けて自分が変わっていくことはどんなに幸せなことでしょう。そして、その刺激は他の人間からフェイス・トゥー・フェイスで受けるべきものなんですよね。 自分の将来を考えても、これが一番大事なんじゃないかと思います。年をとって病気になったとき、買ったモノは全然無くても、周りに住む人たちがみんなお友達だったら? お友達が助けてくれる。実際、私の近所の人たちは、お互いに病気になったら食事を作ってあげたり、おすそ分けをするということを普通にやっているんですね。亡くなったら町内会がお葬式をあげる。町内会は、会合に時間がとられるとか面倒くさいことはあるけれども、人生の一番大事なときの面倒を見てくれる。誕生から死ぬときまでネットでです。これは、とても幸せなしくみではないでしょうか?>>END |
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