宇津木浩一さん


宇津木さんがフロン回収を始めるまで

Q. 宇津木さんは、どうしてフロン回収業を始めたんですか。

高校を卒業してから、僕は自動車の解体工場でアルバイトをしていたんです。ある日、カーエアコンのホースを切断すると、激しくガスが噴出してきました。冷媒として使用されていたフロンだったんです。そのころ、環境問題やオゾン層破壊についての報道を目にすることも多かったので、環境を破壊してしまった、という罪悪感がつきまとっていました。その後、就職したんですが、あの現場のことがどうしても忘れられず、フロンを回収しよう、と決意したんです。回収機と移動のための自動車など、設備投資のために貯金の200万円をはたきました。両親は、そんなことで生活できるのかと心配しました。でも、後には引けなかったんです。

Q. 実際、収入は得られたんですか。

いいえ。収入を得るどころか、お金を払って回収させてもらっていました。アルバイトをしていた自動車の解体工場に行って、1台500円払って回収するんです。生活は別のアルバイトでカバーしていました。でも、そういったボランティアでは続かないんですよね。それで、住んでいた青梅市の市役所に行って、フロン回収の必要を訴えました。フロンの回収は行政の仕事として行われるべきだと思ったんです。最初は、なかなか理解してもらえなかったんですが、何度も日参してお話をするうちに次第に理解が得られて、94年に青梅市とフロン回収委託の契約を結びました。金額はもちろん高くないですけれど、それまで、お金を払って回収していたわけですから、仕事としてお金をもらえることがとてもうれしかったですね。 青梅市はフロン対策に東京都で一番早く取り組んだ自治体として注目されるようになって、いろいろな自治体から問い合わせを受けるようになりました。国からの問い合わせもあったんです。そして、僕の仕事のエリアも広がり、96年には12市町村と契
あらゆる器具に対応するための道具箱
約するようになりました。

Q. けれども、今年から施行された家電リサイクル法によって、フロンの回収もメーカーが請け負うことになりましたよね。お仕事は減りましたか。

はい、家電リサイクル法が施行されて、冷蔵庫とエアコンの処理がメーカーの責任になったので、行政との契約はなくなりました。でも、個別の注文が増えて、仕事エリアはもっと広がっています。先日は松本市まで行ってきたんですよ。98年から中小企業総合事業団のオゾン層保護対応指導員を引き受けて、全国にフロン回収の指導に行ったりしていました。今後は個別注文に応える形で仕事をしていきたいと考えているんです。

Q. 宇津木さんのように、フロンの回収業を営みたいという後継者は出てきませんか

新聞などで紹介されるたびにたくさんの問い合わせがあります。でも、失業してしまった人が職の一つとして考えていたり、「環境」はトレンドだからという意識が出発点にあったりすると、なかなか厳しいでしょうね。経営自体が難しい仕事ですから。やる気と志がどうしても必要になりますよね。もちろん、作業を教えることは厭いません。僕自身、志を同じくする人といっしょに仕事ができないかな、といつも考えているんですよ。もし、そういう意志のある方がいらしたら、ご連絡ください。

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