気の早い桜がほころび始めた、3月下旬。新学期を目前に控えたある日―――。
「環境ネットワーク」で活動する学生5人に、“座談会”と銘打って集まってもらいました。ケーキを食べながら(!)和気藹々とおよそ3時間弱。彼らの活動の主旨・内容を聞くだけで、瞬く間に時は過ぎてしまいました。でも、それはとても楽しく、刺激的なひとときでした。同じメンバーでの「次回」を期待し、今回のECO PEOPLEでは、彼らが話してくれた「学生たちの環境への取り組み」をご紹介したいと思います。



【集まってくれたメンバー】(50音順)

飯田康喜さん Yasunobu Iida 
東京大学2年生
東大・環境三四郎(駒場代表)
岡田浩一さん Hirokazu Okada 
早稲田大学4年生 
早大・環境ロドリゲス(前・幹事長)
/環境政策ネットワーク
織田竜輔さん Ryosuke Oda 
早稲田大学3年生 
早大・環境ロドリゲス(幹事長)
/環境政策ネットワーク(渉外)
二見 剛さん Go Futami  
駒沢大学2年生
全国青年環境連盟エコ・リーグ(東日本会計)
山岸 健さん Ken Yamagishi
東邦大学3年生
ECO学園祭ネットワーク(代表)
/東邦大学環境サークルTEE

(以下、敬称略)

Q.大学に入って環境ネットワークで活動する下地はどんなふうに形成されたのでしょう。皆さんが「環境」を意識したのはいつ? どんなきっかけでしたか?


飯田 小学校3年生のとき、担任の先生の指導で、朝顔の葉を観察して酸性雨の影響を調べました。それがきっかけです。それからずっとなんとなく「環境」が気になっていて、大学に入ってボン!と突き抜けた感じです(笑)。もともと僕は、どうしてそうなるんだろう? ということが気になるタイプで、ごみの分別一つとっても、まず「なぜ分別しなくてはいけないんだろう?」と、考えるんですね。大学で「環境三四郎」に入ったことで、ごみを分けることの意味が理解できました。そんなふうに、一つ一つ自分の疑問をクリアしていく場としても、僕にとっての環境サークルが機能しているように思います。

山岸 僕は東京の郊外で育ちました。小さいころから生き物が好きで、東京にも残っていた自然の中で遊んでいました。自然との関わりの中で環境を意識しだして、活動を始めたのは大学に入ってからです。大学に入って、環境問題をなんとかしたいな、という思いで、それまで大学にはなかった環境サークルを作り(TEEC=Toho Earth Environmental Circl、活動してきました。ただ、今は別の方向から環境問題を捉えています。つまり、自分がいかにして幸せに生活するのか、という点から環境問題を捉えなければならないんじゃないかな、と思うんです。幸せな生活を追求すると、環境問題が外せない。生活と環境の関わりを抜きにして暮らしは語れないんだな、と思っています。

二見 僕は横浜の下町で育ちました。バッタやカマキリが取れるような草薮があって、自然が残っていました。幼稚園のころからずっと、そんな中で遊んでいたんです。草薮にカマキリがいつも卵を産みに来る木があったんですが、そこに行けば必ずカマキリが捕れました。バッタやカマキリの捕獲量が少ない日は「しょうがない、あの木に捕りにいくか」って(笑)。ところが、いつの間にかその木にカマキリがいなくなって、「寂しいなぁ」と思いました。それがきっかけです。近所に住宅が建ち、草薮がなくなっていくのを見ながら、どこかで「寂しいなぁ」と思っていました。その気持ちが潜在的に続いていたんだと思います。大学合格後に先輩からエコ・リーグに勧誘されました。実際の活動をするようになったのは、大学に入ってからです。今、大学ではESSに所属し、エコ・リーグの活動と並行して続けています。

織田 僕もみなさんと同じように小さいころから自然に親しんできました。でも、「環境」という言葉も知らなかった。最初に「環境」に近いことを意識したのは、小学校4年生か5年生のときです。アルミ缶を集めて行政に渡し、リサイクルすると、お金がもらえた。そこで、みんなでアルミ缶を集めてお金をもらい、車椅子を買って近くの養護学校の生徒さんに贈ったことがありました。そのとき「リサイクルってすげぇな」って思い、これが「環境」に興味を持った始まりです。両親も環境に意識を持っていて、住んでいた地域の処分場の問題もあって、ごみの分別などに取り組んでいましたね。
 決定的だったのは、大気汚染の問題で病気になり、亡くなった友達がいたことです。それから、もっと強く「環境」を意識するようになり、中学生のときには、宿題で作った「自分の未来予想図」に「環境庁に入って……」と書いています。そして、高校のときから、今の学部(理工学部環境資源工学科)に行こうと決めていたんです。

岡田 僕は、群馬県の榛名湖の付近で生まれ育ちました。小学校の同級生が4人、というようなところです。すごく自然が豊かで、友達は少なかったけれど、自然の中で思う存分遊んだ思い出があります。高校に入るときに引っ越したのですが、久しぶりに故郷に帰ったとき、見慣れていた景色が公共事業で破壊されているのを見ました。破壊されていた事実そのものよりも、それにショックを受けた自分に気づいて、生まれ育ったその環境が好きだったんだと自覚しました。それまでは、「環境で食べていこう」という気はなかったのですが、そのあたりから考え始めました。高校で理系・文系を選択するときも迷ったのですが、化学を使って「環境」で社会のために何かできないかな、と考えて今の学科(理工学部応用化学科)を選びました。今は少し方針を変えて、学科横断の「複合領域コース」に進学しており、政策に関わっていきたいと思っています。昔から「総合的にものを見たい」という志向があって、「政策」を広く捉え、本当にいい社会のあり方とは何なのかを考えていきたいと思っています。そこで、この先も大学院に進んで勉強を続けたいと思っています。>>次のページ


PAGE1 /「環境」を意識したのはいつ?
PAGE2 /所属する環境ネットワークの主旨・活動内容(その1)
PAGE3 /所属する環境ネットワークの主旨・活動内容(その2
PAGE4 /所属する環境ネットワークの主旨・活動内容(その3)