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■みんなで生きる社会へ
――これから私たちはどんな生活を目指していけばよいでしょう?
所謂エコロジストたちに、「あなたは具体的にどういう暮らしを目指しているんですか」と尋ねると、答えが返ってくることはほとんどありません。ビジョンがないんですね。自分がどういう方向に進んでいるのかわからないんです。
私が描いている生活はこんな風です。例えば夏は、多少の必要を除いてクーラーは利用せず、ネクタイやスーツはやめて、涼しいかっこうで過ごす。道路はほこりが立たない程度の措置はしてあるけれども、やや湿っています。そして、木々が生えている。歩いていろいろなところに行ける。そんな暮らし。そういう全体像に向かっていかなくてはいけないと思いますよ。ところが、リサイクルはその逆の方向に行くのです。
21世紀は、資源と環境で苦しむ世紀だと私は考えています。資源も少なくなる。環境も悪くなる。物を少なくしてやっていけるような生活に切り替えないと成り立ちません。
ただ、覚悟が必要です。本当に価値のある商品、愛用できる商品を産業界は提供しなければなりません。われわれはそれに対してお金を払うのです。「共白髪」で大切にできる商品こそ、われわれの求めるものです。われわれは愛用品がほしいんだ、と明確にメーカーに姿勢を示す必要があると思います。私は消費者の力が結集すれば実現できるはずだと思っているんです。
ただし、私は何も捨ててはいけない、と言っているわけではないですよ。人間はこころを満足させるために生きています。ムダをつくるならそこにこそ、つくらなくてはならない。いいものを買う、飽きて捨てる。飽きて捨てるならかまわないんです。どんどん買うために捨てる現状とは捨て方が違います。買わないでは気がすまない、という前提でものを捨てるのは改めなければなりません。
「共白髪」で物を愛用して暮らし、ゴミはできるだけ近くですべてまとめて焼却します。テレビも冷蔵庫も全部焼却するんです。焼却場は一箇所だけです。ゴミというのは価値がないものですから、できるだけ運ぶ距離を短くしなければなりません。処理場を分けると輸送の距離が2倍になる。10に分けると10倍になる。ですから、大型ゴミも燃えるゴミも不燃物もすべていっしょに燃やします。分けてはいけません。そして、体積を減らすのです。
――環境や資源に苦しむ21世紀は、社会そのものが変化しそうですね。
われわれは資源・環境とともに生きています。資源・環境だけが特別なのではありません。ところが、資源・環境だけがクローズアップされるようになりました。そこで、何が生じたかというと、弱い人に環境のためのしわ寄せをさせるようになったのです。例えば、ゴミの分別は主婦にやらせればいい。彼女らの時間は余剰なのだから別に構わない、というのです。環境政策を決める人は自分では絶対に分別をしませんよ。あるいは、リターナブル瓶。これを飲む人は絶対に瓶を運ばないんです。「瓶ビールはおいしい」といっている人は絶対にビール瓶を運ぶ人ではありません。ですから、リターナブル瓶は無い方がいい(ただし、料亭で使うリターナブル瓶は資源です。物流が決まっているものも資源になります)。むりやりにリサイクルを実行すると誰かが苦労することになり、それは常に弱い人です。多くは子供や女性、お年よりが担うことになっていきます。
私は、人間のもっている時間を他人が奪ってはいけない、と考えています。目的が環境であっても資源であっても、その人に備わった時間はその人が自由に選択しなくてはいけないんです。
みんなで支える社会。できるだけ階級性のない社会。そういうものを目指していくのが環境にいい社会です。リサイクルという間違ったことは、おそらくあと10年くらいでなくなるでしょう。本当のことが少しずつ理解されはじめていますから。
ただ、一つ気になるのは、環境に対してこれまで一生懸命やって来た人が「だまされた」と、傷ついてしまうことです。それを避けるためにも私は、環境に一生懸命に取り組んでいる人たちに対してこそ、われわれは本当に何を目指すのかを、説明していきたいと思っています。木々があって、クーラーはあまり必要がなく、「共白髪」で大事に物を使い、心の満足を得られるような生活をいっしょに目指しましょう、と。
階級がある社会ではなく、家族皆が平等に楽しめるような、そういう人生を送る方向に21世紀をもっていこうじゃないか、と呼びかけていきたいと思っています。多くの人が気づくのが、手遅れにならないようにしなくてはいけません。日本中をコンクリートで覆ってしまった後で気がついても困りますから。人の心が傷ついてしまう前に、今の時点で早めにわれわれの到着地点を考えてビジョンを描き、それに向けて進んでいった方がいいのです。
――でも、この社会の中で今すぐにリサイクルをやめたり、ゴミの分別をやめたりするのは、とても難しいように思うのですが……。
たしかに実行がたいへんです。森の中で一人、自然の生活をしている人がいますよね。私はそれではダメだ、といっているんです。環境こそは、みんなでやるものなんです。一人でやるものじゃない。環境は競争社会ではありません。みんなで分かち合って、ソサエティを築いていこう、というのが環境です。だから「変人」になっちゃいけないんです。私だけがネクタイをせずにシャツを着る。それじゃダメなんです。
こういうと、「おかしいじゃないか、先生」といわれます。でも、みんなでシャツを着よう、みんなでクーラーをつけないようにしよう、としなくては意味がないのです。隣がクーラーをつければ、この都会生活において、私のところだけクーラーをつけないことはできない。環境というのはそういうことをいっているわけです。
私の研究室は可燃物・不燃物を一括してゴミを出しています。もちろん、紙もリサイクル紙はいっさい使いません。これに対して、数年前まではひどいことをいわれました。私の研究室では環境問題を扱っていますから。ただ、徐々に理解されはじめ、批判もなくなってきています。
このように、少しずつ努力してみんなの意識を変えていくことが、環境の重要な点です。一人だけ急激にはずれられないんです。一人だけ、というのは環境の考え方じゃない。競争社会の考え方なんです。
今までは個人個人の競争社会でした。これからは、環境をキーワードに、全体を意識する社会へと移ろうとしています。そして、われわれはそこに踏み込めるだけの生活の豊かさをもっている。寿命であるとか、物質の豊かさとか。だから、早くそれに気がついて踏み込んでいかなくてはなりません。
物質があふれている今、本当に欠けているのは心ではないでしょうか。やりたいことができる、充実感が味わいたい。それがわれわれのほしいことであって、物がほしいのではない。政府は相変わらず経済成長を取りざたしています。でも、本当は幸福成長が指標にならなくてはいけない。グラフの縦軸は「心の幸福」です。今まで、常に右上がりで来た日本。これを転換しようというんですから、たいへんですよ。たいへんだけれども、転換すべき時機にきていることは間違いない。私はそう思います。(END)
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