江戸時代の日本は「植物国家」だった。
石川英輔さん
作家・武蔵野美術大学講師

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これから私たちがなすべきこと

―――「植物国家」は理想郷のように思えますが、欠点はなかったのでしょうか。

 僕は今、いい面を言いましたが、「植物国家」的生活を実際にやっていた人間は辛いですよ。だって全部自分がやるんだから。権力者やお金持ちは人にやらせられますが、人にやらせるといっても、その人たちにごはんを食べさせなくてはならない。馬を使っても世話をしなくてはならない。こういった世話は現代の自動車には必要ないことでしょう。

 江戸の暮らしは、自分のご先祖様だとは思えないくらい質素でした。今の私たちの生活はそういう辛さがなくて便利だけれども、でも、その分だけ失っている。便利な分だけ、地球の表面に張られた空気と水の薄い皮の部分をぶち壊しているわけですよ。

 進歩が好きな人っていうのは、進歩のいい面しかみない。でも、不便さの長所っていうのも見なくてはいけません。「植物国家」はたしかに不便だった。しかし、その代わりにいつまでも続く社会を作り上げることができたわけですよ。つまり、『大江戸リサイクル事情』の最初に書いたように、短期的に合理的なことは長期的に不合理なことが多いのです。

僕の結論はただ一つ。特効薬はありません。ただ、今この瞬間から誰でもできることがあります。それは、化石燃料を大量に使用する生活は間違っているんだ、と皆が本当に思う、ということです。思わなくてはどうしようもない。思うことは十分条件じゃないけれど、必要条件なんです。だって、その必要条件を大部分の人は満たしていないでしょう。化石燃料をたくさん使うことは間違っているんだと国民の大多数が認めれば、日本は徐々に変わっていきます。

 右肩上がりの社会が、ずっと続けばそれも必要ないでしょう。だけど、もう一度高度成長をやり遂げるような余裕は、おそらく日本にはもう無いと思いますね。昭和35年ごろの段階で所得倍増計画に乗らずに、それまでのペースで生活を続けていれば、日本は今ごろきっと、世界有数の環境大国になっていたんじゃないか、と僕は思うんですけれどね。

 エネルギーがたっぷり使える豊かな暮らしというのは、人類の心にとっても、体にとっても決して親切ではないんじゃないかと僕は思っています。残酷でさえあるのではないか、と。人間が直立歩行を始めて500万年。それに比べて、日本人がエネルギー多消費型の生活を始めてわずか50年です。人類の生活が始まってから、わずか10万分の1か20万分の1だけが、化石燃料による生活なわけです。

今の我々は間違っていると知るべきだ、ということです。進んでいることが必ずしもいいのではなく、進んでも間違っている部分が多いことを知らなくてはいけません。


PAGE1/江戸の豊かな暮らしぶり
PAGE2/100パーセント、植物を原料にする生活
PAGE3/これから私たちがなすべきこと

『大江戸リサイクル事情』

失われてしまった江戸庶民の合理的なムダのない暮らしの知恵、日常に根づいたリサイクルのありさまを描く。江戸時代の絵が豊富に掲載され、これも実に興味深い。他に、『大江戸えねるぎー事情』『大江戸テクノロジー事情』『大江戸ボランティア事情』(田中優子氏との共著)などがあり、11月には待望の新刊『大江戸えころじー事情』が上梓される。(すべて講談社刊)