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江戸時代の日本は「植物国家」だった。

石川英輔
さん
作家・武蔵野美術大学講師

いしかわ・えいすけ
1933年京都府生まれ。国際基督教大学と東京都立大学理学部中退。会社経営をへて現在は作家活動に専心。現代人と江戸芸者の時空を超えた恋心を描いた『大江戸神仙伝』が大好評、この作品がきっかけとなって専業作家となる。また、江戸の庶民生活、エネルギー、テクノロジーを研究し、その知恵や合理的な暮らしぶりを紹介した『大江戸えねるぎー事情』『大江戸テクノロジー事情』『大江戸リサイクル事情』という大江戸シリーも好評を博す。11月中にはシリーズ4作目になる『大江戸えころじー事情』が上梓される(田中優子氏との共著に『大江戸ボランティア事情』もある)。江戸生活を舞台にした小説も数多い。


色づいた木の葉が一枚、また一枚と路上に舞い降りる秋の某日、東京中野にある石川英輔さんのお宅を訪ねました。木々が生い茂る静かな庭。そこに作られた家庭菜園では京菜がいっせいに芽吹いています。戸に多くの古書が積まれた部屋で、江戸時代がいかに優れた“循環型環境社会”であったかを伺いました。


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江戸の豊かな暮らしぶり


―――ご著書『大江戸リサイクル事情』の中で、江戸は「植物国家」だとおっしゃっていますが、まず、この「植物国家」についてお話しいただけますか?

 僕が言った「植物国家」というのは、なるべく成長の早い植物を原料にしてそれだけで生活している社会のことです。植物製品以外で使用するのはごくわずかな金属、陶磁器。ただ、これらは消耗品とは言えないですから、消耗品に関して言えば、江戸時代は100パーセント、かなり成長の早い植物だけを使っていた。植物というのは、育てれば再生します。だから、生活に使った植物原料の大部分が1年間でもとに戻るんですよ。そして、それを育てることによって生活している人が日本人の大部分を占めていたわけです。農業、林業はもちろん、漁業に従事した人もそうです。現代の人々は、これらの産業はお互いに関係のないものだと思っていますが、江戸の人々はそれぞれがつながっていることを知っていました。
 漁業では、森林が豊かでなければいい魚を大量にとることはできません。最近になってこのことを証明したのが貝類です。森林が少なくなると海がやせ、牡蠣などが大きくならないことがわかった。そこで今、牡蠣や真珠貝の養殖業の人たちは、山に入って植林をやっていますよ。

今では、林業組合、漁業組合が全く別の組織として存在しているでしょう。ところが昔は、一体のものなんですよ。農業だけやっている人はいたでしょうが、漁業だけを専業にしていた人はいなかったと思います。遠洋に出ませんから。つまり半農半漁というのが多かったんですね。要するに、江戸時代の人には、海と山と川がいかにつながっているかが見えていたんですね。狭いところに住んでいましたから。例えば、かつて北海道では「ニシン御殿」ができたほど、大漁のニシンが押し寄せて、多額の富みを得た人々がいました。ところが、最近はそんなにニシンが来なくなった。

それは川をコンクリートで固めてしまった所為ではないかと言われています。とにかく戦後は、川をコンクリートで固めることが国家的行事になっていましたからね。三面張りってご存知でしょう? 最近になって建設省では、その誤りに気がついて、木曽川でかなり大規模な実験をしました。そして、その結果、川は曲がっていた方がいいとか、川原はコンクリートより草の方がいいということが実証されたんです。遅ればせとは言え、官庁が誤りをみとめるのはいいことだと思っています。このように、江戸時代の生活では農業も漁業も全部が一体のものだった。その生活の有り様を僕は「植物国家」と書いたのです。

―――では、「植物国家」の「国家」というのは、政治的な用語とは違う意味でお使いになったのですね。

 江戸時代の「国」っていうのは、中央政権がないんです。今は、東京の中央集権で、それが地方の財政まで支配していますね。これに対して徳川幕府は、そんなに人手がありません。江戸時代の武家支配では、支配している武士の人数が極端に少ない。だから、理屈の上では確かに「武家支配」なんですが、結局、町でも村でも実際の行政は民間人が手弁当でやっていました。西暦1700年くらいから幕末まで、江戸の庶民人口はおおまかに言って55万人くらいでした。これに町奉行所の役人が290人、そのうち司法・警察が66人。面積は山手線の内側と隅田川の向こうの本所深川まで、ですね。一方、私が暮らしている中野区は、人口が30万人。そして、一般行政の区役所の職員が、アルバイトも含めて約4000人です。

つまり、江戸幕府の圧制が批判されるものの、55万人が山手線の内側と本所深川に広がっているような状況で、290人の役人がそうそう弾圧できるものじゃないですよ。何しろ人数が非常に少なくて、今私たちが「国家」と呼ぶものとは全く異なった行政形態でした。幕末には270ぐらいの藩がありました。それぞれの藩が半分独立国で、それぞれに藩財政を持っている。連邦制のようなものですね。要するに、江戸の行政形態は今とは全然違うものですし、「植物国家」の「国家」という言葉には、政治的な意味合いはまったくありません。>>次のページ


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