編集部|
お話をうかがっていると、皆さんは、未来に対してこんなことをやりたいっていうご自身の指針がかなり早い時期に確立していたようですが、いつ頃から自分の未来の姿をイメージするようになったのですか? 高校生、中学生? それともすでに小学生から?
久保寺|
僕は小学生の頃から将来は教員になりたいという夢があって、学芸大学に進学しました。
編集部|
その理由は?
久保寺|
それがはっきりは覚えてなくて…。小学校高学年の頃にはすでに思っていたんですけど、何がそのきっかけになったのかは、あまり記憶にないんです。
ただ、自分の幼少期を振り返ってみると、いわゆるヤンチャというか、問題児タイプだったので、たくさんの先生とか大人にはだいぶご厄介になっていて、先生や大人が導いてくれた記憶があります。それも理由としてはあると思いますが、明確にスイッチが入った出来事は正直覚えていないんです。
ただ大学に進学し、学びの過程で、自分が目指す姿が教員なのか否か? 自分でもだんだんわからなくなってきたんです。教師か、教育か、この2択への疑問が深まった大学3年の時、自分がやりたいのは教員じゃなくて教育だっていうことがはっきりして、活動を徐々に本格化させ、今のビジョンに到達した感じです。
編集部|
久保寺さんが描く「教育」を実践するための最初の切り口となる活動とは、どんなシーンだったんですか?
久保寺|
アプローチしたのは、数学教育。数学教育全般、また大学受験とかに関連した書籍を執筆したり、YouTubeで配信したりしました。それはそれで楽しかったんですけど、物足りないなあと感じ始め、一般社団法人に入って、キャリア教育の分野にも関わるようになり、やっと自分がやりたかった「教育」のイメージにしっくりくる活動の姿が見えてきたかなっていうところですね。
編集部|
前田さんはいかがですか?
前田|
今、久保寺くんの話を聞いていて、私も似たような経験がありました。「教員」になりたいのか? それとも「教育」をやりたいのか…?
私は小学校の卒業時、中学受験をしたんです。中学受験をやる子なんて圧倒的に少ないような地域だったので、スーパーマイナー派だったんです。その結果、私ひとりが新しい環境の中学に入学し、パッと新しい世界に飛び込むことになったんです。
ただ、多くの同級生が地元の公立中学校に進学しました。私の出身小学校はすごく小さかったんで、同級生たちは進学した中学でのヒエラルキーで下層とされ、いじめにあったり、鬱っぽくなったり、悩んだりしていました。
一方私は、新しい世界でだちもいっぱいできて、楽しい日々を送っていたんです。まさに真逆の状況にある同級生たちになんて言ったらいいかわからなくなっていました。この体験から、どんな状況にあっても周囲の人にさりげない言葉を返せるような人間になりたいなって思うようになりました。