>>PAGE-3

■事的世界観
編集部:
地球温暖化やエネルギーという問題は、要素も規模もとてつもなく大きいが故に、どのようなアクションを取れば良いのか分からないような状態から、今まさに、絡まった糸をほぐす辛抱強い作業を経て出口を見出し、さらに途中経過をアナウンスしつつ、継続的な努力を後押しする仕組みがやっと出来つつあるように思います。
スーパーやデパートのエコバックもかなり普及してきましたし、東京電力が夏季に実施しているエアコンの設定温度の調整促進の広報など、自然に受け容れられるようになりました。5年前と比較すると私自身、全く別のメンタリティーで生活していることに驚かされます。
でも、ITの発達で異常なスピードで仕事をする現代人が、さまざまなことに配慮して生活するというのはなかなか至難な業です。歩ける距離でも、時間と引き換えにタクシーに乗ってしまうこともありますし…。

松橋:
地球全体を俯瞰して、また未来のことも考えて自分の行動をコントロールして生きるというのは、確かに大変なことです。忙しさや疲れ、さまざまな要因で計画したようには行動できないことも事実です。私自身、忙しさから“丁寧なライフスタイル”から程遠い浪費的時間を過ごしてしまうことも多々あります。

でも、例えばこういう判断や行動は可能なのではないでしょうか?
時間のあるライフスタイルの選択された方は、楽しみながら可能な限り省エネライフを心がける。また人生の時期として多忙なスケジュールをこなし、経済的にも若干の余裕がある立場にある方は、高効率の省エネ家電を購入やその設備を導入することで、地球にコミットメントする。それぞれのスタンスで無理なく、ご自身も心地よく生活しながら地球にとっても良いことを選択するという生き方です。
様々な価値観や社会での役割分担があるので、一律の基準やルールを押し付けることはできないでしょう。先ほどお話した「コツコツカード」にしても、その実施を強制することなどはナンセンスです。
ですから、それぞれに無理のないスタイルで快適に継続してできることを選ぶセンスが求められると思うのです。社会全体に向ってひとつの処方箋を振りかざすのではなく、さまざまなアプローチからそれぞれの人が目標を見失うことなく行動することを奨励するセンスです。

編集部:
そうですね。ゴミの分別が始まった時のことが頭をよぎりました。目標はあくまでもゴミの減量化であり、分別ではないということですね。ところが、分別そのものが目標になってしまった。確かに目標と手段が入れ替わっては何の意味もありませんものね。

松橋:
私が問題として取り上げている京都議定書にしても“地球温暖化”や“異常気象”などさまざまな現象を含みます。話題に上った夏季の都市部の暑さもこれと関連しているでしょう。でも正確には、都市特有のヒートアイランド現象によるところが多い訳です。夏季、誰もが気温の上昇に反応し、同時刻にエアコンのスイッチを入れると、全体のエネルギー消費量は瞬時にすさまじい勢いで跳ね上がりますし、それと呼応して外気温もさらに上がります。
ヒートアイランドへの対策としてはビルの屋上緑化や、外壁を高反射塗料に変えたり、光触媒を使用するなどのテクノロジーの導入と、ビル管理者や生活者ひとりひとりがエアコンの設置温度を自主的に調節するライフスタイルからのアプローチで、大きく改善されるはずです。
ですから社会全体がこの大目標を理解し、連動して共に対応することが大切なのです。まず、人々のシンパシーに訴えかけて省エネ行動へと繋げるアプローチをし、さらに水撒きや緑化などのローテクや最先端のハイテクである光触媒を駆使することで、改善への道筋が開けるのでしょう。

編集部:
そうした社会全体の広い認知と協力を得るためにはどのようにしたら良いとお考えになりますか?


松橋:
この分野の先端にいらっしゃる方々の意識は大変高いのですが、日本全体を見回した時、満足のいく状況であるとは言えないことは事実です。ですから、まずは普及啓発が大変重要だと考えますね。
現在、私たちはありとあらゆるチャンネルやツールを通じて、こうしたメッセージを流し続けています。自分たちのメディアにとどまらず、より大きなネットワークに向って、“地球のメッセージ”として訴えかけることが大切なのだと思っています。ですからこうしたWebの情報発信も重要なチャンネルだと思います。

ただここで、極論を言わせていただければ、是非とも小泉総理にテレビを通じて国民に向って省エネやCO2削減への協力を訴えかけていただきたいと思っています。さまざまな関係で暗礁に乗り上げていた感のあった『京都議定書』の発効も確定し、実現の方向で舵が大きく切られましたし、“約束を守る”ということ、“地球環境を守る”ということに誇りを持って行動を起こすことがいかに重要であるかを訴えていただきたいと思っています。
世の中にはマインドの高い方々がいっぱいいらっしゃいます。ですから、“手を携えて一緒に行動を起こしましょう!”と声を掛け合いたいと思っています。

編集部:
最後に、御本を拝読して、お目にかかれたらどうしても伺いたいと思っていたことがあるのですが。
第三章の“ライフスタイルからみた持続可能な社会”の環境問題の根源のところにでてくる「事的世界観」という概念なのですが、ちょっとお話いただけますでしょうか?

松橋:
廣松渉先生の哲学へ言及した部分ですね。私は哲学者ではありませんし、先生の深遠な哲学を十分に勉強しつくしたわけではないので、先生の講義を聞けた幸運な一生徒の理解の枠にとどめることを条件で、お話させていただくことで、ご勘弁ください。

先生は存在の本質は、周囲の存在との関係性にあるとし、これを「事的世界観」と呼んでおられました。東大駒場の教育学部の900番教室での講義はいつも立ち見が出るほどの盛況だったのですが、その数百人を収容できる大教室を埋めつくした学生を前にして「諸君の存在に対する概念を揺さぶることから始めよう」と講義を始められました。講義は「諸君ひとりひとりの存在の本質というものは何なのか?」を実に豊富な事例と深い洞察力で進行しました。
廣松先生の哲学を簡単に解説することなど不可能ですが、敢えて簡略化すると“物事の本質”にしても“人間のアイデンティティー”にしても、つきつめてゆくと何も無い。あるとするなら、その“もの”や“人”はその周囲の関係性によって見えてくるものだということです。
例えば私を例にとれば、貴方と私、家族と私、組織と私、コミュニティーと私、社会と私、日本と私という具合に、それぞれとの関係において見えてくるものだという展開です。ですから私が周囲との関係を断ち切ってしまうと、私の存在そのものが意味を失うということになります。
先生の著作『事的世界観への前哨』は素粒子論から相対性理論まで出てくるような大変難解な本なので、ここで私が軽薄に論じることは本来ならば適切ではないのですが、私の中に先生の理論は非常に強い印象として、今も脳裏に刻み込まれています。
現在、なんとか持続可能な社会を築くための仕事をし、その社会に所属し、エネルギーや地球環境をどのように改善してゆけばよいのかを模索する役割を分担する立場において、先生の思想は今なお私に大きな示唆を与えて続けています。
私は東洋思想にも興味があり、禅の本もよく読むのですが、“空”の思想はこの廣松先生のいう「事的世界観」に通じ合うものがあるように感じるんです。とりわけ、“地球環境”とか“これからの世の中”を考える時、行くべき方向性がそこにはあるように感じています。

共に生きるという“共生の思想”、誰かと生きる、国と生きる、地球と生きるという場面において、それぞれ要素を整理し、それらの関係性を重視し、丁寧に然るべき関係を創り上げようとする時にこそ、新しい文明観が構築できるのではないかと感じるのです。

単純な正義と悪の対立でもなければ、お互いに宗教などのイデオロギーを押し付け合う、いわばアイデンティティーの強要のような現状から脱却し、地球全体を包括する共生の行動原理が生まれるには、この関係性を重視する思考の探求が求められていように感じるんです。

編集部:
深遠な哲学論になってしまいました!
でも、こうした諸問題によって、私たちがより多くのことを考え、着実に行動を起こすことの大切さを実感していることも事実です。
地球全体への思いやりを持って生きることを日々実感できること自体、素晴らしいことのように思えてきました。
“今”という世紀に生きている事実をしっかりと受け容れて、それとどのような関係を築いていくかと真剣に考えてみたいと思います。


【END】

【ecobeing】推薦・主要著作

『京都議定書と地球の再生』
(NHK BOOKS 949)
ISBN4-14-001949-2