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松橋隆治  MATSUHASHI Ryuji
東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻教授

1963年北海道生まれ。東京大学工学部卒業。
東京大学大学院工学系研究科 電気工学専攻博士課程終了。
専門は地球環境システム、社会システム工学、エネルギーシステム論。

●主な著作
『ポスト市場主義経済』(共著 ミオシン出版)
『地球工学入門』(共著 オーム社)
『京都議定書と地球の再生』NHKブックス【949】
●訳書
『限界を超えて』(共訳 ダイヤモンド社)
『ライフサイクルアセスメント』(共訳 産業環境管理協会)

地球環境について興味のない人にとっても2004年の天候は記憶に残る一年だったのではないでしょうか?夏の記録的な猛暑、何度も本土を縦断した大型台風、そして初夏からのスコールのような豪雨、気象関連の記録が次々と塗り替えられた日々でした。しかも、この異常ともいえる気象の変化は日本だけにはとどまらず、アジア、アメリカ、ヨーロッパと、世界中で今までは起こりえなったような天災が相次ぎました。明らかに私たちの“地球号”に何かが起こっているのです。
今回は、こうした気象問題を世界規模で討議し、解決への基準を設定しようとした京都議定書をテーマに、著作を書かれた松橋隆治先生のお話を伺いました。
“科学は人間を幸せにするためにこそある”と柔軟な発想と緻密な研究を続ける科学者のおひとりから、“今、親愛なる地球号に私たちは何が出来るのか?”率直な質問をぶつけてみました。


砂浜を守るために私たちは何が出来るか?


編集部: 
先生の著作、『京都議定書と地球の再生』の“はじめに”でも書かれているように、誰もが近年の気象の変化に尋常でないものを感じているように思います。
春の“桜まつり”のこと例に上げていらっしゃいましたが、今年はついに秋の紅葉が12月に入っても楽しめました。
以前は“最近の季候はどうしたものか?”と話す程度だったのが、今年の状況を振り返ると、ほとんど自然の猛威や変動に成す術もないような気分になってしまいます。

松橋:
確かに昨今の状況に危機感を抱かれている方は数多いかと思います。ただ、私自身は自然科学とか気象学の専門家ではないので、地球温暖化がどの程度、季候変動に影響を与えているか、またその原因を特定するようなことにコメントすることは避けたいと思います。現時点では多分、気象学の専門家でいらしてもそれについての発言には慎重になられるはずですし。ただ温室効果ガスによる温暖化が始まっているということ、またそれらの影響から一部気象に変動が起きつつあるという見解はIPCCの報告書などにも盛り込まれるようになってきたことは事実です。

では、私たちが激動する現状に“成す術もない”と感じていることについてですが、問題が“温室効果ガスを削減させるにはどうしたらよいか?”とか“異常気象への具体的な対策とか”とかに絞られると、現状では単純な道筋で解決できるような問題ではないことを認めざるをえないでしょう。
でも例えば、こんな場面をイメージしていただけないでしょうか?
気温の上昇により海面の水位が上がり、生活にゆとりや癒しを与えてくれていた砂浜が消えてしまうとしましょう。この損失について私たちはある程度まで定量的に評価できるのです。
現実に、これを僕らは学生たちの卒論のテーマとして取り上げ、“砂浜が消える”損失がどのようなものかを評価しようとしています。現在、日本沿岸の海面が30cm上昇したら、全国の50〜60%の砂浜が水没してしまうと言われています。物理的にこうした事態が発生すると、そこにあった建造物が水没する等の経済的な損失を査定することは今までにもありました。でもそうしたアプローチではなく、海がそこにあることで人が集い、和み、遊び、楽しみ、いかに癒されているかに僕たちは注目し、それを積極的に評価しようとしているのです。

編集部: 
“精神的な豊かさ”に尺度を設定するという意味でしょうか?
もうちょっと詳しくお話いただけますか?

松橋: 
砂浜の消滅を「土地が失われる」という観点での経済的損失と捉え、それについて評価する査定は今までもされてきました。ただ今回、僕たちが着目したのは“海”や“砂浜”そのもののパワーです。
広々とした水平線の景色に出会うと、人はさまざまなエネルギーを得るのではないでしょうか?ストレスの多い現代社会にあって、休日のひと時を雄大な海の景観を眺めることで癒されている効用をしっかりと体感されている方は多いはずです。特に精神的に疲れている時、肉体的に弱っている時など、海の景観に出会うことで、無言のうちに癒された経験をお持ちの方はきっといっぱいいらっしゃることと思います。
私は以前に西千葉の宿舎に住んでいたのですが、休みの時などは妻とよく稲毛の浜へ行きました。稲毛の砂浜は当時、近隣の人々の憩いの場になっていました。東京湾の内海ですから、美しいとはいえないような砂浜でしたが、さっぱ(小魚:瀬戸内では「ままかり」といって珍重される)を釣る人、散歩をする人、ビーチバレーをする人、ジョギングをする人、デートをする恋人たち、思い思いのスタイルで砂浜に人々が集い、そこにいつも和やかな雰囲気がありました。つまりこの砂浜は、集う人々に毎日を生き抜くためのもうひとつの力、換言すれば、経済性とか合理性とかいう価値観との折り合いやバランスを保つための、別のエネルギーを与えてくれる場所であったと思うのです。
さらに言えば、単純に砂浜を守るために沖合に砂防(突堤)を作ってしまい、要塞のようにしてしまえば、確かに砂浜自体は守られるかもしれません。が、砂浜の向こうに広がっているべき広々とした海の景観を壊し、癒しやパワーを与えてくれる水平線を塞いでしまうことになるのです。
大きな視野から俯瞰すると、この状況は日本人にとって明らかな損失であり、人類全体にとってもマイナスではないかと考えるに至ったのです。

そこでこの“砂浜の効用”を評価し、逆にこの砂浜を守るために私たちに一体何ができるだろうかと考え、一定の評価手法を用いつつ、どんな行動を起こせばよいのを具体的に提案しようとしているのです。

編集部:
先生の著作、第三章で言及されているライフスタイルに関わる価値観ですね。利己的な人間像ではないタイプの人間も登場しつつあるというわけですね。
(近代の経済学が説く人間行動学の基礎である“合理的経済人”は利己的な価値観や行動原理がベースになっている)。


松橋:
そうですね。ライフスタイルの変化によって、人間の満足度は以前とはかなり異なる価値観によって支えられるようになってきたと思います。
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▼PAGE1/砂浜を守るために私たちは何が出来るか?
▼PAGE2/新しいライフスタイルの登場
▼PAGE3/事的世界観