>>PAGE-2

■こんなドライバーにはハンドルを握る資格はない!
編集部:清水さんはレーサーとしてのキャリアを重ねると同時に、かなり早い時期からドライビング・インストラクターとしての活動をされていますね。

清水:僕は今まで何度も交通事故に遭っていますからね。ハンドルを握る以上、すべてのドライバーは然るべき知識を持ち、あるレベルまでの運転技術を習得すべきだと僕は考えています。それが交通事故を予防する最善策のひとつだと確信しています。
ところで現在、世界中で年間どれくらいの人が交通事故でかけがえのない生命を失っているかご存知ですか?

編集部:日本国内の死者が年間で約10,000人弱だと記憶していますが。

清水:そうです。そして世界全体では、約1,300,000の人が亡くなっています。
交通事故での死亡はあたかも偶然のように言われていますが、この数字を見れば偶然ではないことが誰にも理解できるはずです。飛行機事故や列車事故、SAASだって、こんな数字にはならない。
ちゃんと対策を立てて、社会全体がこれに対処する仕組みが必要なんです。
クルマが僕たちに可能にしてくれた“モビリティー”という【移動の自由】、これは本当に素晴らしい自由です。“自分の行きたい場所にいつでも自分の力で行ける道具”、自由に移動できる幸せを実現してくれるクルマをちゃんと乗りこなす技術を身につけ
ることは、ドライバーがまず、習得すべき技術ではないでしょうか? 
ここに、興味深いデータがあります。

この表は‘70年代から‘97にかけての日本での交通事故の死亡者数の推移を表しています。
ご覧のように、70年の日本は由々しい事態に陥っていました。日本経済は急成長し、クルマを買うことが夢だった庶民にもその夢を実現することを可能にする時代となったのです。自由と豊かさを謳歌するステイタスシンボルである自動車、それを手に入れる人が急激した結果、おぞましい交通事故も倍増した。でも当時の日本は、道路の整備も法整備もクルマの急増についていけなかった。その結果、“クルマと人間が共生するシステム”がないが故の悲劇、多くの交通事故が発生し、悲しい現実として、年間16,000人という交通事故死のワースト記録を毎年更新するような事態に陥ってしまった。ただ、この表を良く見てください。その後の10年間で、急速に数値が改善されているでしょう。
これは、社会全体で事故を減らすためのキャンペーンに、日本人が一丸となった取り組んだ成果なのです。
道路の整備だって、法整備だって、クルマの性能だって、昨日や今日の努力ぐらいでは本質的な変革や改善には持っていけない。でも人間の不注意から発生する事故や、予防という観点からの生活習慣の修正は、人間の努力次第で大きな成果を生むことができるのです。
このキャンペーンの結果、たった10年間で交通事故死者数は16,000人から8,000人へ半減するという快挙を実現したのです。その理由はたったひとつ、日本人の規則を守るという国民性です。高いモラルを掲げ、それを粛々と実行する、当時の日本人は素晴らしいナショナル・キャラクターを持っていたのです。

編集部:これって、凄いことですね。自分たちの社会の方向性を自覚した市民ひとりひとりが、“クルマと共生する新しいシステム”作りに目覚めたということですよね。意識の高い“交通安全キャンペーン”のパワーは侮れませんね!

清水:“交通安全”という意識が自発的な国民の総意だったからこそ為し得た成果でしょう。さらにこの動きと平行して、自動車メーカー各社もさまざまな改良・改善に取り組み、より安全で安心なクルマを作りあげることにエネルギーを傾注したのです。
日本の自動車メーカーの姿勢は、そういう意味で実に謙虚で慎重でしたね。つまり、彼らは現状とそれから先にやってくるだろう未来を予見する力を持っていたのです。70年代は、日本の基幹産業が相次ぐ公害訴訟という社会問題をかかえていた。その時クルマのメーカーは、先人の負の轍を踏むことなく、未来に向かって自らの業界をシュミレーションしたのでしょう。今後も継続的な発展を遂げるためには“今何をするべきか”をしっかり学習していたのです。
今や押しも押されもせぬ国際競争力の蓄えたあるトヨタを初め、ホンダ、日産など、日本の自動車業界を育ててきた経営への基本理念はこの辺にあると僕は分析しています。
ところで、マスキー法という法律をご存知ですか?

編集部:排気ガスを規制した法律ですよね。

清水:そうです。1970年にアメリカ・カルフォルニア州で制定された法律です。
この法律が打ち出した環境保全基準は当時の常識からすれば、とんでもない数値だった。戦後の混乱から早くも抜け出した日本は、60年代からアメリカに自動車を輸出する国になっていました。当時、カルフォルニア州で進行していた公害問題は都市部の青空を奪うような深刻な状況になっていました。この状況を打開すべく、徹底した公害規制を謳ったアメリカ・マスキー法が制定されたのです。この法案はマスキー上院議員という人が提唱したので、彼の名前をとってマスキー法と呼ばれています。
この法律の内容は、70年型自動車の排出ガス排出量に対し一酸化炭素と炭化水素を‘75年までに90%減少、窒素酸化物は’76年までに90%減少させるというもので、これが達成できない自動車はカルフォルニア州での販売を禁止するという規定をしたのです。10%の削減ではなく、90%の削減を自動車メーカーに突きつけたんですよ。アメリカのメーカーからも、そんなことは無理だというのが当初の反応でした。
でもこの時、『未来の子供たちに青空を残すために』というキャンペーンスローガンにいち早く共鳴し、達成へのアクションを起こしたのはホンダの創業者、本田宗一郎でした。そして、ホンダはいち早くこの規制基準を達成し、それにトヨタも続いたのです。
彼ら創業者たちには未来を見つめる勇気があった。つまり、個人の便利や目の前の利益の追求が将来“とりかえしのつかない負”引き起こしてしまうだろうという予測ができた。本田宗一郎らには知性と未来への見識があったんだと思いますね。

編集部:“やれば出来る”を地でいくストーリーでの達成ですね。なんだかまさに『プロジェクトX』のような流れを感じます。

清水:『プロジェクトX』の時代、60年代から70年代には、戦前の日本を支えた諸先輩がまだ現役の場にいらして、社会のために役に立つ産業としての道義、“公”の意識が企業にはあったのでしょうね。もちろん、こうした思想が間違った全体主義に走ってしまった時代もあったわけですから、諸手をあげてこの種の意識を賛美するつもりはありませんが、社会のために貢献する“公”という意識は、21世紀だからこそさらに成熟したかたちで復活して欲しいと思いますね。

ちょっと話が脇道に逸れてしまいましたが、僕はクルマのもつ“モビリティー”という自由を今後もより多くの人が享受できるものであって欲しいのです。そのためには、ドライバーはまずクルマ社会の基本知識と運転技術をしっかり身につけて欲しいのです。
たとえメーカーが、完成度の高い安全装備を開発しても、ユーザーがそれを正しく理解し、使いこなせていなければ何にもならない。自分の未熟さや怠惰を棚上げにして、なんでもかんでも製造者(メーカー)責任にするなんてみっともないことです。
クルマを乗るからには、クルマの機能をしっかり理解し、それ相応の技術を習得することが最低条件です。21世紀人たるもの、環境保全への配慮や社会全体の秩序を維持するマナーを守ることは、ライフスタイルの問題だと僕は考えますね。クルマを愛する人間のひとりとして、全てのドライバーが交通法規を正しく理解し、ドライビング・テクニック習得すること、さらには、走行路のコンディションを良好に保つことも安全走行の基本的なマナーです。
ですから、“窓からのゴミの投げ捨て”なんて、もってのほか!環境保全を語る以前に、それが他の走行車両の事故を誘発することをもっと自覚すべきです。

編集部:確かに、ドイツなどで道路周辺にゴミが投げ捨てられていることなんてありえませんね。ドイツはアウトバーンでは超高速走行が許されているのに、人間と共生するエリアである一般道でのスピード規制は徹底していますし、誰もが周辺の環境(学校や病院のあるエリア)に敏感に対応して、実に細やかに運転をしていますね。

清水:クルマのもたらすモビリティーの素晴らしさを自覚している国民だからこそ、ルールを守ることの意味を理解しているのでしょう。
実は数日前、伊豆を走っていて転倒しているバイクに遭遇しました。
僕はクルマをすぐに止めて、ドライバーを救助しました。でも、僕の前には何台ものクルマがこの怪我人を見ぬふりをして通り過ぎているんです。全く信じられないことです。こんなドライバーは人間としてのモラルがない。
彼らにはハンドルを握る資格すらないと僕は思いますね。
>>PAGE-3