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清水 和夫  SHIMIZU Kazuo

1954年東京生まれ。武蔵工業大学電子通信工学科卒業。
1972年よりラリーに参戦、サーキットレース歴20年以上と豊富なレース経験を持つプロドライバー。全日本クラスのツーリングカー・レースを中心に活動。
ル・マン、スパ・フランコルシャン、ニュルブルグリンク、デイトナなどの海外の耐久レースにも積極的に参戦。またドライビングのインストラクターとしてのキャリアも長く、「理論と実践」を分かりやすく解説することで、一般ドライバーの運転技術の向上にも積極的に貢献。さらに、最近はモータージャーナリストとして、自動車専門誌『NAVI』、『ENGINE』等で活躍。“アクティヴ・セイフティ”の視線からの辛口な自動車批評で読者から厚い支持を受けている。


記録的な猛暑に大型台風の相次ぐ本土上陸、そして浅間山の噴火に紀伊半島を襲った地震と、自然界の異変を実感させる出来事が相次いだ2004年夏、編集部は一冊の本に出会いました。
『ディーゼルこそが、地球を救う−なぜ、環境先進国はディーゼルを選択するのか?』、グリーンの葉っぱに車輪がついたイラストと文字だけの、どちらかと言えば地味な本の表紙に記載された著者名は3人、大学に所属する小川英之さん、金谷年展さん、そして現役のプロドライバーの清水和夫さん。
大気汚染の悪玉として不遇な目に遭っているディーゼル車を、その誕生から現在の状況まで、モーターリゼーションの発展の歴史に沿って、ディーゼルの優位性を真摯に語るこの本は、未来へのヴィジョンを考えさせるものでした。
特に人間の自由な権利を象徴する“モビリティー=移動の自由”を可能にあす“自動車”への愛と感謝を基点として、“人間とクルマが幸せに共生する社会”のありかたを熱く語る清水さん、“どうしても会いたい!”という編集部の思いは、秋風の吹き始めた9月の昼下がりに実現しました。


それはまるで“ブラックホール”に
陥るような感覚だった


編集部:清水さんは現役レーサー、モータージャーナリスト、そしてクルマ社会の未来に関わる活動にも積極的に参画されていらっしゃいますが、大学での通信工学科の選択の時点から、なんだか次世代を常に予見して、行動を起こしてこられたような印象を受けます。
まず、清水さんとクルマとの最初の出会いについてお聞かせいただけますか?

清水:確かに僕の大学での専攻は電子通信工学です。でも、この分野が好きで進んだわけではないんですよ。単純に国語や古文、つまり文科系の学科が苦手だった。それで工学系の大学を選び、なんとなくこの分野に進みました。それに当時、電子通信工学が現在のように脚光を浴びる分野になるなんて思ってもみませんでした。だから先見の明なんて全く無かった。(笑い)
ご他聞にもれず、普通の大学生がするように入学したらとにかく自動車免許を取り、当然のようにクルマを買おうということになったのです。たまたま家の近くに日産のディーラーがあり、SKYLINE 2000GTを手に入れた。それがクルマとの最初の出会いでした。
そして僕は、このクルマとの出会いによって、まるでブラックホールに陥るようにクルマの魅力に取り憑かれてしまったのです。

編集部:ブラックホールですか?

清水:そう、それはまさにブラックホールでしたね。この表現が一番正しい!
このクルマとの出会いによって、僕はクルマの魅力にどっぷり引き込まれてしまった! スカイラインというクルマは間違いなく、日本車のデザインや性能を語る上で、エポックメイキングとなった名車の一台でしょう。“ケンとメリーのスカイライン”という広告コピーがありましたが、当時、このクルマに乗っていること自体が“ある意味”を持ち、クルマ好きが集まる磁場へと僕をどんどん引き寄せていったのです。変な話ですが、僕の家の近くにあった販売店がもし違う会社だったら僕の人生は違う方向に向かっていたかもしれないな。(笑い)

編集部:スカイラインとの出会いがその後の人生の進路を決定づけたということですか?

清水:結果的にはそうなりましたね。あれが僕の出発点です。
でもだからと言って、一挙にクルマ関連の仕事をしようとか、レーサーになろうとか思った訳ではないんですよ。学生時代からアマチュア・ラリーに参加したり、高級なクルマに直接触われるという理由で、銀座のクラブでクルマを預かり、酔った客さんを自宅まで送るようなアルバイトなどはしましたけどね。大学を卒業後、普通に就職してサラリーマン生活もちゃんと経験しているんですよ。

編集部:しかし、クルマが清水さんを然るべき世界に呼び戻した?

清水:結果論として、そういうことになりました。音響関連の会社に数年在籍し、輸出部門で仕事をしていたんですが、急激な円高から会社の業績が急変し、それに伴う状況の激変がありました。それで、社内の雰囲気は一変、労使関係はギクシャクしたものになってしまった。就業に関しての労使の不合理な組織の論理に僕は嫌気がさしてしまったんです。目の前にある仕事に効率よくエネルギーを注ぐことができる、もっとすっきりした環境への転職を考え始めていた僕に、ある会社が学生時代のレース戦歴などに興味をもって、ポジションを提示してくれたんです。そして、本当に好きなモノの傍で、自分の人生の時間とエネルギーを使おうという軌道修正をしたという訳です。>>PAGE-2

▼PAGE1/それはまるで“ブラックホール”に陥るような感覚だった
▼PAGE2/こんなドライバーにはハンドルを握る資格はない!
▼PAGE3/クルマを近代文明の負の被告席に上がらせてはならない!