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少しずつ木のことを覚えていった時代
――では、時間を遡って、造園家になられたいきさつを教えていただけますか? 塚本さんはもともと木がお好きだったんですか?
父が木が好きで、いろんな木を集めて庭にぽこぽこと植えていました。そして、「いつか庭師に頼んで、この木で庭を造ってもらおうな」って言っていたんです。そう言っているうちに私が造園家と結婚したので、もちろん主人に造ってもらいましたけど(笑)。そんな父を見て育ちましたけれども、私自身は木や造園について何も知らずに結婚したんです。
結婚したばかりの頃はね、子供も小さいし、事務の手伝いをしていました。すると、植木屋さんが植木の納入にくるんです。そのために仕入れ伝票を書くんですが、「馬酔木」「なんじゃもんじゃの木」「ばりばりの木」なんかがあって、木の名前って面白いなぁ、と思いました。たとえば木ヘンに「春」と書くと椿(つばき)でしょう? そうだ、椿は3月に咲くなぁ。木ヘンに「夏」だと榎(えのき)。木ヘンに「冬」だと柊(ひいらぎ)。柊は真冬でも青々としていて、魔よけに使われます。秋だけはその字の中に「木」が入っているんですね。禾ヘンに「火」。文字通り、火がついたように紅葉します。
こうして、木の名前を覚えながら面白いなぁ、と思っていました。そのうち、現場に行くようになると、覚えた名前と実物の木がつながり始めました。
お客様から電話がかかってきて、木の様子が変だから見に来てほしいといわれることもありました。主人も従業員も出払っていますから、私が現場に行き、様子を覚えて主人に伝えます。すると主人がこうやって返事をしなさい、と教えてくれる。そういうことが積み重なって、さまざまなことを覚えていったんです。そのうち、夜、主人が書く設計図を横で見るようになりました。すると、何もない現場が主人の設計図のとおりに仕上がっていくのがわかる。設計図とまったく同じものができるんだ、と感動しました。
主人は、私をよく京都に連れて行ってくれました。偽者じゃなくて本物を見なさい、と。観光地化していない、いいお庭を随分見せてくれました。だから、私にとって主人が師匠です。独立してからはある意味でライバルでもあるんですけど(笑)。会社を設立したときは、そんなに大それたことをしようなどとは思っていませんでした。公園とか広場とか、主人がやらないところで仕事をしようと思っていただけでした。ところが、あるとき樹齢1000年のモッコクの木の移動の依頼が舞い込みました。始めは主人に任そうかな、とも思ったんですが、「ま、いっか」くらいの気持ちで引き受けました。それがうまく成功したんです。それで世間に認められたんですね。それからは、いい仕事をたくさんいただいて、42歳のときに樹木医の資格を取りました。でもね、資格をとってから必死で勉強したんですよ。自分が何も知らないことを痛感しましたから。全国各地の勉強会に参加して、「見る・聞く」を繰り返しました。だって、同業者の話を聞けば、自分がどれくらいの位置にいるかわかりますから。取材攻勢のなかで、自分が何も知らないのに女だからというだけで取材されるのが、本当に嫌だったんです。
でも、いまは、自分が何も知らないということを開き直っています。私は木の大切さを伝えるメッセンジャーとしての役割を果たせばいいと思うからです。
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