Konami Tsukamoto
1949年静岡県に生まれる。樹木医(登録No.125)、一級造園施行管理技士。高校卒業後、2年間OLを経験したのち22歳で、日本庭園を得意とする造園家と結婚。85年、緑化工事を行なう(株)グリーンメンテナンスを設立。93年には女性として初めて樹木医試験に合格。96年、あしかがフラワーパークの大藤の移植を手がけ、これを縁に園内の造園設計も担当して、99年、同フラワーパーク園長に就任した。また、全国の巨樹や古木林の保護、治療、移植に従事するとともにフラワーパークの設計なども手がけている。モットーは「一日一生」。

塚本こなみさんのことを知ったのは、一冊の本がきっかけです。タイトルは『奇跡の樹』。葉祥明氏が描く美しい絵と文で大藤の引っ越しと、その藤のいのちの言葉が綴られていました。この本の原作者が、塚本さんだったのです。まだ、暑さの残る8月の終わりの土曜日。編集部は塚本さんを訪ねて、電車を乗り継ぎ、あしかがフラワーパークを訪れました。


あしかがフラワーパーク
http://www.ashikaga.co.jp/index2.html


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見事な藤の木


曇り空だった東京とは打って変わり、あしかがフラワーパークは快晴。まずは、塚本さんが移植を手がけた、幹の太さは日本一、枝の広がりは畳300畳分にもおよぶという藤の写真をご覧ください。花の房は1.5メートルにもなり、中には1.7メートルにもなる房があるそうです。あなたの身長を超えているかもしれませんね?(開花は4月下旬から5月中旬。伺った季節は緑の葉が生い茂っていました)

藤の木を移動するとき、塚本さんは幹にギブスを巻いたそうです。藤の木をクレーンで吊り上げると、自らの重さで皮にロープが食い込んでしまう危険があるのですが、ギブスはそれを防ぐ画期的な措置でした。藤の木の引っ越しについて、詳しくはあしかがフラワーパークのHPをご覧下さい。

●藤棚を案内してくださったときの塚本さんのお話。
「日本人の名前のなかで「藤」がつく名前はいくつあると思います? 私ね、数えたんですよ。なんと141もあったんです。日本人はとても藤が好きだという証拠のように思えませんか? ほら、源氏の君が憧れたのも藤壺の君、紫の上でしょう?」
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