「Rising East Project」というコンセプト

編集部

墨田区と台東区をまたがっての、平成の下町再興とも言えるプロジェクト、さまざまなご苦労があったのではないでしょうか?

今村

ひとことで東京の下町と言っても、それぞれのエリアが異なる個性と魅力を持っています。実際、浅草近辺とここ墨田区では隅田川を挟んで橋を越えるだけですが、異なる気風の土地柄です。浅草はなんと言っても、江戸時代から昭和中期までそれこそまばゆいばかりの華やぎのある商人や芸人の集う繁華街でしたから独特 のスピード感を持っています。一方業平橋や押上といったエリアは江戸の生活文化を支える職人たちの町としてのゆったりとした時間が今も流れています。しばしば一括して下町と紹介される上野、浅草、業平ではその色合いも異なり、魅力となる趣は全く違 うと言ってもいいかもしれません。そのことも踏まえて、2006年10月、私たちは「Rising East Project」のコンセプトを掲げ、東京の東エリアを中心とする新しい"まちづくり"を提唱し、東京スカイツリーの下でじっくり時間をかけて墨田、台東をまたがる新しいスケールでの"下町の個性"を持ったまちづくりを進めていこうと考えています。

編集部

東京スカイツリータウンと東京の東地区の魅力をどのように発信しようとされていらっしゃるのでしょう?

今村

最初にも申し上げましたが、私どもは開発会社ではなく、鉄道会社です。日々の鉄道事業を通して地元との最も太いパイプ役として機能しているのが、実は各駅の駅長さんたちです。彼らは地元行事に参加し、コミュニティーの一員として毎日、"顔の見えるおつきあい"をさせていただいております。ですから今回も同じこと、私どもスタッフが自転車に乗り、この地区を走り回り、町会の皆様と膝をつき合わせておつきあいをさせていただくことから始めました。町会の会合に出席し、行事に参加することで実感したのは、新しく建設される東京スカイツリーだけの魅力を語るのではなく、その足元に広がる古い町並みや景観、江戸の下町文化の伝統をベースに、そこにプラスされる"新参者"である東京スカイツリー、つまり"タワーのある町"として、その魅力が語られることこそがもっとも大切なのでないかと気づかされました。

東京スカイツリータウンとしての価値と魅力をアピールするために、最初は東京スカイツリーに関心を持っていただき、さらに地元の魅力へと話題を広げ、「東京の下町に存在する新旧の対比」を様々な言葉やイメージで表現していただくことが一番有効ではないか感じております。
しかも願わくは、一方的な情報を発信だけでなく、多くの方々を巻き込み、自由に"東京スカイツリーのある東京"の魅力を語る、そんなスタイルが一番望ましいのではと思っています。

編集部

確かにスカイツリー情報は、印刷物、テレビ、サイト上でさまざ まな切り口で紹介されていますね。

今村

本当にありがたいことです。最近では東京の観光ガイドの巻頭特集として"東京スカイツリーのある町"墨田として、銀座より前に掲載されていることを或る町会長さんがとても喜んでくださった。実際永くこの地に住まわれ、先祖代々の家業を営まれていた住人にとって今回のタワーの誘致は、この町を未来に継承させるための悲願でもあったようです。有機体として町が変ってゆくことは運命として受け入れつつ、町として守って来た品格や希望をなんとしても次の世代に繋いで行きたいと繰り返しておっしゃっていらっしゃいましたから。見識の高い町会長さんの多くが、愛する町がシャッター街になり、住環境の安全に不安を感じるような状態になることへの危機感を強く持っていらした。だからこそ、新たな時代のランドマークの創設誘致にかくも力を注がれたのだと思います。"未来に希望を託せるまちづくり"、住民の皆様と弊社は、ここにおいて一致しています。もちろん、建設に実施にあたって、町の姿も大きく変わる訳ですから不都合も生じ、ご不便もおかけすることになる。我々に出来ることは、住民の皆様の声に耳を傾け、建築現場や対応スタッフにそれを伝え、日々の生活にご迷惑が少しでも少なくなるように調整することです。

籐で東京スカイツリーを作る職人さん