~地球の声に耳を傾ける~
エコピープル

2022年秋号 Ecopeople 93山極壽一インタビュー

4 西洋と東洋

編集部
より良い未来を創出するための切り札になるかもしれない西洋思想と東洋思想の融合、それは実際に可能なのでしょうか?

山極
例えば森、西洋人にとって森とは悪魔の棲家でした。神様が住む場所ではありません。海も同様に悪魔が徘徊する世界でした。だから大航海時代、西洋人はそこを征服するべく海に向かい、新しい陸を支配し、森を切り拓いて草原に家を構えた。西洋と東洋における森や海への考え方は根本的に異なります。しかしながら、客観視しながらも自然を尊ぶ西洋の考え方は、人間と自然を一体視する東洋的な考え方と相容れないことではないと僕は考えています。
例えば、西洋近代思想の中には、生態系=エコシステムという考え方があります。エコシステムというのは、要素については緻密に分類しますが、全体の流れを重視し、「エネルギーの流れ」や「モノのつながり」をシステムとして捉えるのです。 これは和辻が提唱した『風土』という考え方と相容れない思考ではありません。丁寧に自然環境を精査し、これらの繋がりを理解し合い、認め合っていけば、僕らは世界の潮流となる考え方を変えることができるかもしれません。
西洋と東洋を対立させるつもりはありませんが、顕著なのは医学での考え方です。双方の病気治療法での一番大きな違いは、西洋医学は病気の原因を突き止めてそれを断つという考え方。つまり、人間の身体を部分に分け、筋肉は筋肉系、骨格は骨格系、内臓は内臓系として、部分別にその健康度を測る考え方。一方、東洋医学は人間の身体を“ひとつの袋”として見立てます。だから鍼だとか灸だとか、頭が痛いのに足の裏に鍼を刺したりして、その流れを変える施療をやってきました。東洋医学のアプローチは病気の根源を断つのではなく、病気と共存できるような身体に改良する姿勢。そのために刺激を与えて人間が本来もっている“生きる力”を刺激し、呼び戻すという手法です。
実際、現在実施されている新型コロナウイルス対策や癌治療でも、西洋医学的な考え方と東洋医学的な考え方が併用されています。新型コロナウイルスを撲滅する新薬開発の動きもあれば、ワクチン接種のように人間の免疫系を改良し、ウィルスの働きを抑えようという対策も採られています。近年の医学界では東洋的な考え方も西洋的な考え方も両方を取り入れ、治療プログラムが立てられるようになってきました。

編集部
環境問題についても同様の動きはあるのでしょうか?

山極
現在、主流である「グリーンディール」という考え方は経済発展をそのまま継続させ、技術でもって環境問題を解決していこうとするもの。さらに「デカップリング」、これは経済と環境は相互に関係し合うものではなく、経済は経済として、環境問題は環境問題として考えようとするもの。いずれも“環境と経済は別々の解決策がある”とするのが世界の趨勢です。
「経済活動には手をつけるな、経済発展はそのままとし、資本主義は継続する」と。
ですから、環境課題は最新技術で解決できるはずだという考えの下、「二酸化炭素はフィルターで吸収し、それを固定する技術が出てくれば、二酸化炭素が増えても温暖化を防ぐことができるだろう」とか、「化石エネルギーの消費を抑え、積極的に再生可能エネルギーに導入し、二酸化炭素の排出量を減少させれば、地球温暖化もストップできるだろう」という考え方、この種の“すべきだ”というのは、ほとんど国家の政策です。






編集部
そのような現状において、地球研ではどのような解決法を研究されているのでしょう?

山極
僕ら地球研は、過剰な技術を導入して自然の力を台無しにするのではなく、自然の持っている力を最大限に引き出し、自然と人間が一体となり、包括的に解決するような研究をしています。
例えば、研究対象のひとつの里山問題。里山は神様の住んでいる森と人間が住む里の境界に位置するわけですから、この“場”をもうちょっと生かすのです。森林が過度な伐採と針葉樹の植林によって変容し、野生動物は自分たちの棲家や餌場が奪れた、この結果、シカやサル、イノシシが森を出てきて、里で食べ物を探しているわけですから、彼らにとってまず、棲みやすい森の環境を確保しながら里には入らせないようにする。つまり里山本来の機能を復活させ、双方にとって有効に活用する“場”に戻せば、野生動物と僕ら人間は共存できるはずなんです。
野生動物が里や畑を荒らすからという理由で、どんどん撲滅していけば、獣害は確かに無くなるでしょうが、野生動物がいなくなると、彼らがいることによって成り立っている森林の生態系そのものも壊れてしまう。生物多様性の重要性はまさに“ここ”にあるのです。
森林は樹木や草だけで維持できているわけではなく、そこに棲む動物やら昆虫、鳥たちがその再生に大きく寄与してくれているからこそ、森林は“森林としての機能”が維持できるのです。
地球研では現在、山、森、里、川、海へと繋がる連関事業に特に注力しています。山や森と海は川によって繋がっています。雨が降ると、川は土壌に堆積されている養分を洗い流し、栄養分を海に運んでくれる。それを吸収して海辺にプランクトンが増える。そのプランクトンを食べて、魚類をはじめ海洋生物が増える。さらに小さな生物を鳥が食べて、今度は鳥が川を遡って森にフンを落として、森林生態系に寄与する。この山・川・海の循環機能を再生するプロジェクトに取り組んでいます。
編集部
「森は海の恋人」を掲げ、森の再生に力を注ぐ活動をされる三陸の漁師さんの活動など、近年は多くの人が自然界の循環運動、“あるべき自然の姿への回帰”に向け、行動を起こし始めていますね。

山極
自然界は常に循環しています。そしてこの循環運動は川の流れのみならず、動物たちの動きによって維持されています。ですから僕ら人間と自然が共生する“あるべき姿”に戻してやることこそが重要で、そのことが自然災害を防ぐことにも繋がるんです。
1960年代から70年代にかけて日本では何が起こったかを振り返ってみましょう。 当時の宰相が打ち出した「日本列島改造論」の大号令の下、日本の河川には夥しい砂防ダムが出来ました。ダム建設で川を堰き止められ、川の流れが大きく変わってしまった。そして、砂防ダムによって砂が堆積し、栄養を含んだ土壌が海に向かって流れなくなってしまった。川の流れを堰き止めることで、小規模の洪水は防げたかもしれないけれど、本来、川が果たしてきた自然循環という重要な機能が停止してしまったのです。しかも川岸に作ったコンクリートの護岸は近年のような大雨が降ると決壊し、災害がさらに大規模になってしまっている。僕たちは今、そういう現実を抱えているんです。
戦前まで日本列島は豊かな海岸に囲まれていました。里海と呼ばれる沿岸の海は小さな海洋生物たちの宝庫でした。小魚がやってきて、プランクトンや小さな生物を食べる。小魚は育って沖に行き、今度は大きな魚が彼らを食べるという命の循環が機能していました。それが、大きな波を防ぐためと称して海岸にテトラポットが大量に埋め込まれたことで、海流が変わリ、砂浜が消えてしまった。また、護岸工事によって渚や磯がコンクリートに置き換えられました。その結果、海岸に棲んでいた小動物はいなくなり、豊かな海は消滅してしまったのです。日本周辺の魚類はご承知のように大きく変化し、海洋資源の劣化は進行しています。
中でも環境問題の最大の課題、「地球温暖化」は深刻です。水温の上昇で一番大きな被害を受けるのはサンゴたちです。地球の平均気温が1.5℃上がると、世界中のサンゴの70%が死滅すると言われています。サンゴが死滅すると海水の酸性化が発生し、貝や殻を作る動物である甲殻類を始め、魚も骨格を作っているそのカルシウムが作れず、海中の生物はどんどん減少してしまいます。些細なことと思えるものが連鎖的に作用し、地球全体を司る大きな循環環境が支障をきたす。その結果、思いもよらないシーンでさまざまな障害を誘発させる可能性があるのです。