■スリランカ一の観光名所
ピンナウエラ象孤児院は、スリランカ最大の都市コロンボから北東に約90キロ。世界遺産としても有名な宗教都市キャンディへ向かう幹線道路の途中に位置しているため、スリランカ観光の団体ツアーの行程には必ずと言ってよいほど、この象の孤児院への訪問が組み込まれている。訪問者数では、すでにスリランカ一の観光名所だ。
ここには、なんらかの事情で母親から別れてしまった子象が集められている。文字通りの象の孤児院。子供の象は母親と離れて自力で生存できる可能性はほとんどなく、ここに収容されなければ生き残れなかっただろうと言われている。1975年に9ヘクタールほどのココナツ林に7頭の小象が集められたのがその始まり。今では、園内で生まれたものも含めて、100頭以上の象が最年長のメスをリーダーにして群れを作っている。自然界では、象がこれほど大きな群れを作ることはないので、大群で水浴びする光景は世界のどこにもない、ここだけの光景だったわけだ。
この施設はスリランカの国立動物園が運営しており、設立目的は「観光名所を作る」ということに重点がおかれ、けしてきれいごとではなかったらしい。しかし集められた小象たちが順調に成長し、1984年に園内で繁殖が始まると、動物保護と教育施設としての面にも力が入れられるようになってきた。今では、象の繁殖研究の世界的メッカとなり、「野生動物の保護」という問題を考える上での貴重な資料を提供し続けている。
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数人の象使いが見守るだけで、放し飼いにされている象たち
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■観光施設としてのパワーを生かす
この施設の解説文にも「創立目的は観光施設を作ることにあった」と、さらりと述べられているように、ここは人に象を「見せる」ということに躊躇していない。毎日8時半の開園から18時の閉園まで、幾つもの「イベント」があって、観光客は園内のあちこちを移動して、それを見物することになる。一番人気があるのは、赤ちゃん象に大きな哺乳瓶でミルクを与える時間と、園のすぐ南にあるマハ・オーヤの川まで象が群れを作って移動し、水浴びをする時間。川辺にはレストランが並び、食事をしながら象の水浴びを見物できるようにもなっている。
しかし、ここにいる象たちは「芸」をするわけではない。象の群れの番人をしている象使いたちの小遣い稼ぎとして、観光客に象を触らせたり、象と記念撮影をさせてくれたりすることはある。しかし、ほとんどの場合は、象たちは広々としたココナッツの林の中をのんびり歩いたり、群れから離れて黙々と体に土をかけていたりする。観光客は遠くからそれを眺めているというわけだ。どの象にも象使いがついているわけではないので、人間がやたらに近づいていくのは当然危険だ。象たちは非常に人間慣れしているが、それだけに愛着を表現しようとして急に体ごと人間にのしかかってきたりすることもあるらしい。
動物園のような柵や仕切りがない状態で出会うと、象という動物の巨大さと優美さに心が揺さぶられるような気がする。観光客達は炎天下に広い園内を歩かなければならないにもかかわらず、象と出会うたびに皆一様に大きく息を吸い込むようなしぐさをして見とれていた。
観光施設としての集客力を十分に利用しようとう姿勢は入園料にも現れている。スリランカ人の入園料は50ルピーだが、外国人観光客はその10倍。ビデオ撮影にも500ルピーで許可書を入手する必要がある。これだけの広大な土地と、毎年増え続ける収容象を支えるには、観光客の落とすお金が当然必要だ。繁殖施設としての役割や教育施設としてのメリットはもちろん主張するが、観光施設であることを素直に認めているところに、むしろこの施設を運営する人々の誠実さが感じられた。
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■これがベストの方法なのか?
かつてはスリランカの大地の王だった象も、今では全島で2000頭あまり。象の主要な生息地は自然保護区に指定され、国の保護政策も十分とは言えないまでも努力は認められるレベルだといわれている。しかし、農民にとって象は「害動物」。いったん農地に入りこまれたら、人間の手で追い出すのはほとんど無理だ。そのため、象が出没するエリアでは、農地への侵入を未然にふせぐために見張りを置いたりしているそうだ。もちろん禁止されてはいるが、ワナや毒物を仕掛けることもあるとか。象の孤児ができてしまう可能性はまだまだ大きい。
孤児の象を救う・・・という目的だけなら、象の孤児院は成功していると言えるだろう。園内での繁殖も毎年2頭以上と順調だ。しかし、子供の時から哺乳瓶でミルクを与えられた象は二度と野生にもどることはできない。ここで繁殖させても、野生の象の減少を食い止めているというわけではない。川で水浴びする象の群れは、忘れられないほどの感動を誰の心にも呼ぶが、それはけして自然の姿ではない。ジャングルに囲まれてはいるが、そこは広大な動物園だ。この孤児院の存在意義は「観光資源」以外に本当にあるのだろうか?
この施設、そしてそこに生きる象たちから、いったい私達は何を学ぶことができるだろう?私は「動物園」の果たす役割をある程度認めている。自分の子供時代を振り返ってみても、動物園がなかったら野生動物に興味を持つこともなかったかもしれないと思うからだ。傷ついた象や、孤児の象に出会うことで、人と野生動物の共存の難しさと可能性に気がつくチャンスになれば、この象の孤児院にも大きな意味があると言えるだろう。
■「聖なるもの」として生きる象と出会う
今回の取材の最後にコロンボで、もう一度象と出会った。立派な牙を持ったその象は、コロンボ最大のガンガラマーヤ寺院の入り口につながれていた。足には太い鎖が巻かれていたが、不思議なことにその象は囚われの哀れさを感じさせなかった。参詣人の尊敬を受ける、「聖なるもの」として生きているからかもしれない。この象も広い大地をゆっくりと歩いたり、川の流れにゴロリと横たわったりする夢を見ることがあるのだろうか?
スリランカはその国名「光り輝く島」にふさわしい美しいところだ。しかし、貧富の差は大きく、民族紛争も未解決のままだ。紛争によって外国人観光客の足がスリランカから遠のけば、たちまちピンナウエラ象孤児院にも影響が出てくるだろう。スリランカ全体の経済的安定と、自然の豊かさを守ることが象たちの運命にもつながっているのだ。
(取材・文責 宮田麻未)
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