■流浪のプリンスの恋が花園に生まれ変った
1919年に勃発したロシア革命で、グルジア国のニコラス・アブハジ王子は母親と共にパリに逃れた。王子はそこで、英国の裕福な家庭に育ちながらも孤独な心を抱えたマージョリー(ペギー)・ペンバートン・カーターという女性と出会う。二人はたちまち恋に落ちたが、第二次大戦によって彼らの運命は大きく変ってしまった。ペギーは育ての親の資産があった上海で日本軍の捕虜となり、王子はフランスに侵攻したドイツ軍によって強制労働に駆り立てられたからだ。
戦後、ペギーは上海の資産を整理してビクトリアに渡り、そこに永住する決意をした。そして彼女は辛抱強く王子の行方を探し、ついに13年ぶりに再会を果たす。彼らの愛は、会えなかった時間を一挙に飛び越えるほど強いものだったようで、二人はすぐに結婚を決意する。それからの45年あまり、かつての亡命王子とペギーは5000平方メートルほどの庭園をまるで自分達の子供を育てるように手入れし続けた。この庭のユニークな設計と美しさは、ビクトリア市民の噂になり、ときおり行われた一般公開には、いつも多くの人々が訪れたという。
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■TLCの「アブハジ庭園」保存活動
1994年、ペギーが92歳で亡くなると、この土地は遺産管理人の手に移され、庭の手入れもままならない状態となった。彼女の残した資産では、固定資産税の支払いもとどこおりがち。ついに土地は開発業者に売却され、集合住宅に生まれ変りかけた。このニュースに敏感に反応したのは、TLC(The Land Conservancy)という非営利団体を中心にした、ビクトリアの一般市民だった。
TLCは、英国のナショナル・トラストをお手本にして1997年に結成された民間の非営利団体。BC州の歴史的建造物や自然を後世に残すために様々な活動を行っている。結成されて間もないTLCにとって、アブハジ庭園を破壊から守るための運動を広げることは容易なことではなかった。土地を購入した開発業者との間には「60日間のうちに150万ドル用意して買い取るなら、この庭を譲り渡す。」という約束をとりつけた。大量のEメール、新聞への投稿などなど、市民の草の根運動を最大限に利用した募金活動は、5ドル、10ドルといった小口の寄付から、2万5千ドルという大口のスポンサーまで動かしたが期限までにはお金は集まらなかった。しかし、TLCの熱意は開発業者を動かし、猶予期間は延長されることに・・・状況が二転三転するドラマチックな「救出活動」の末、TLCはアブハジ庭園を手に入れることになった。
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■残されたのは荒廃しきった「愛の庭」だった
ようやくアブハジ庭園を救ったTLCだったが、彼らの目の前に広がっていたのは、手入れされなくなってから何年もたち、無断侵入した人々に荒らされた胸の痛くなるような「元庭園」だった。しかし、野鳥の生息地の整備や自生林の保護などを手がけてきたTLCの人々は果敢に庭園の再生に着手した。王子の残したスケッチや写真などを元に、夫妻が育んだとおりの庭を呼び戻そうというのだ。
ビクトリア市周辺は、氷河が通り過ぎた跡独特の古い岩盤が露出し、アブハジ庭園の土地も複雑に高低が入り組んだ岩場になっている。ペギーは、上海時代に親しんだ中国の伝統的な作庭デザインを深く愛しており、庭全体を一つの川の流れに見立てていたという。岩陰に野草のように咲く花々など、人工的なデザインをあまり感じさせず、自然の姿をそのまま写したような雰囲気は、英国風のデザインに親しんだビクトリアの人々にはとてもエキゾチックに思えたことだろう。ツツジやシャクナゲのみごとさも印象的だ。
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庭の一番奥にある東屋風の建物は王子夫妻が、庭の作業中に一休みした場所。
ここからの庭の眺めが一番美しい。
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■都市の中で自然を護る活動
TLCはナショナル・トラストと同じく、会員の寄付や入場料などで活動資金を作っている。エコツアーを催行したり、素朴な山小屋を運営したりと、その募金の方法もバラエティに富んでいて、しかも合理的だ。ビクトリア周辺では、特に都市の中の緑地帯、野草、野鳥や野生動物の生息地の保護など、自然と市民の暮らしとが穏やかに調和する方向を示す様々な活動を行っており、年々会員も着実に増えているという。
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■アブハジ庭園
1964 Fairfield Rd. Victoria, B.C.
Canada
●Tell: 250-598-8096
●開園時間 13時〜17時(月、火曜休)3月〜9月のみオープン
●LTCのサイト
(アブハジ庭園の情報を含む)
www.conservancy.bc.ca
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