ドライ・トートゥガス島とブッシュ・キーを結ぶ砂州 |
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カオードゥボン氏の愛した島へ 『米国鳥類図鑑』の著者として世界的に知られるジョン・ジェームス・オードゥボンはフロリダ周辺でも、数多くの鳥類観察記録を残している。1832年5 月、オードゥボーンはドライ・トートゥガス島を訪れて数日間滞在し、熱心に産卵期の鳥の写生を行ったという。以来、この島は北米ばかりでなく、世界中のバードウォッチャーの憧れの地だ。 ドライ・トートゥガスと、それを囲む6 つの珊瑚礁の島々は、キューバや中央アメリカから北米に渡る鳥の移動ルートに位置しており、長い旅の途中の休憩地として重要な役割を果たしている。この島の周辺に集まる鳥の種類は200 種を超える。
特にアホウドリの仲間であるスーティ・ターンは、毎年3 月から9 月頃までに10万羽以上がやって来る。ドライ・トトゥーガス島のすぐ隣にあるブッシュ・キーは、スーティ・ターンの産卵地。太陽の光で温められた砂のくぼみに産んだ卵を、親鳥が交代で抱いている。また、ノジコの仲間であるペインテッド・バンティングをはじめ、アジサシ、カモメ、カツオドリなどが観察できる。 ドライ・トートゥガス島とブッシュ・キーは数年前に砂州で結ばれ、歩いても渡れるようになったが、鳥の産卵期には砂州の途中以降は立ち入りが禁止される。しかし、砂州からも十分にブッシュ・キーの鳥の様子を観察することができる。また、フロリダ・キーからドライ・トートゥガス島への2 時間半ほどの航海の途中でも、様々な鳥と出会えるチャンスがある。
最南端の北軍の砦は地獄の島だった ドライ・トートゥガス島は1513年にスペイン人によって発見され、海亀の島ラス・トートゥガスと名付けられた。しかし、この島には水源がなく、米国に属するようになってからは「ドライ」という言葉が付け加えられた。 また、この島はミシシッピー川から、メキシコ湾、大西洋、西インド諸島へ続く海洋上の戦略的重要地点に位置していた。このため、水源もなく、陸地からも遠く離れていたにも係わらず、1846年にジェファーソン砦の建設が始まった。 この工事は19世紀で最も困難で、規模の大きな建設プロジェクトの一つとして歴史に残ることになった。 とりわけ、南北戦争の時代には、この砦は北軍に属しており、南軍の介入を避けながらはるばるニューヨークなどの北軍の地から資材を運ばねばならなかった。飲料水や食料のの不足、伝染病の発生など、この島はまさに地獄の島だった。サミュエル・マッド医師など、リンカーン大統領暗殺計画に加わったとして処罰された4人がここに送られたのも、この島の過酷な条件ゆえのことだ。 30年たっても、結局ジェファーソン砦の建設は完成せず、1874年に計画は放棄された。
20世紀初頭には自然保護地区に 砦として放棄された島は、ただちに大自然の「侵略」を迎え入れた。桟橋の跡に残された杭の周辺には珊瑚が美しく成長を始め、南の海の魚たちの住処になっていった。そして、早くも1908年には、島の周辺が自然保護区に指定され、スーティ・ターンなどの卵を密猟者から守る活動が開始された。 フロリダ・キーからも遠く離れたこの島は長い間、ぜいたくなヨットなどで訪れる人以外には閉ざされた場所だった。しかし、1992 年に国立公園に指定され、数社が中型の高速船が定期便を運行するようになってから、島へ渡るのもかなり容易になった。そうはいっても、飲料水は今でも、各自で用意しなければならず、トイレも乗ってきた船を利用するしかない。それでも、この島を囲む透明な海の美しさは多くの人を魅了し続けている。島への高速船は、かなり前に予約しなければ席を確保するのが難しいほどだ。 大人の胸ほどの深さの所でも、珊瑚の間を泳ぎ回る色とりどりの魚を見ることができるので、ドライ・トートゥガス島はシュノーケリングにも理想的な場所。トルマリンの宝石を溶かしたような海で泳ぎながら、まるで大空に描かれた抽象画のように不思議な模様を造りだす、スーティ・ターンが群れ飛ぶさまを眺めるのは、この島ならではの楽しみだ。
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アクセス |
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ドライ・トートゥガス島へは、 フロリダ・キーからヤンキー・フリート社などのが定期便を運行している。 料金は昼食付きで100 ドル程度。 ヤンキーフリート社 http://www.yankeefleet.com/ |
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地図と情報 |
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