「マーモットの横断に注意」

 路肩に手作りの標識が何本も立てられている。マーモットへの注意をうながすためだ。マーモットはリスに似た小動物。地面に穴を掘って生活するから、ワイン用のブドウを育てる農家の人々にとっては、あまりありがたくない動物のはずだ。それでも、このオカナガン地方では、人々は穏やかに多くの野性動物と共存しようとしている。「共存」は「知識と理解」なしにはありえない。地元のボランティアが自分たちの手でつくり上げたネイチャー・センターは、人間の暮らしと自然を共に豊かに保とうとする人々の笑顔が満ちていた。

マーモットの観察記録記録用紙を持って
トレイルに行こう
 カナダ、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州の中央南部には、南北およそ250 キロにわたって広がる雄大な渓谷がある。ここはかつて氷河が通り過ぎていった跡。いくつもの湖が点在しているのもそのためだ。
 このオカナガン地方は、年間2000時間以上もの日照時間に恵まれた半砂漠地帯。南端の地域ではサボテンが自生しているほどだ。
 1859年フランス系の修道士がリンゴの木を植えて以来、この地方はカナダで最も豊かな果樹園が集まるエリアになった。リンゴ、サクランボ、黄桃、梨など、春になると次々と美しい花が咲き乱れる。
 さらにここ十年あまりは、ワインの新しい生産地として世界的に知られるようにもなってきた。修道士はもちろん、ヨーロッパ各地からやってきた人々が、それぞれ故郷のワインの技を生かしているのだ。
 しかし農業の発展は、自然を削り取る作業でもある。オカナガン地方の人々は「自然の恵みに頼って暮らしを成り立たせているのだから、自然を守るのは私たちの当然の義務」と考えているようだ。そうした姿勢や思いの具体的な事例をあちこちで見ることができる。

丘の上の小さな「環境見張り台」        

 バーノンは、オカナガン渓谷の北端近くにある人口25000人ほどの町。その町を見下ろす丘の上に白い箱のような建物がある。元は気象観測所として使われていたものだが、現在は地元のボランティアの手で、アラン・ブルックス・ネイチャー・センターとして生まれ変わった。
 やわらかな草に覆われた丘を登って行く道のあちこちには、マーモットへの注意をうながす標識が立てられている。太陽が傾きはじめる頃になると、子供連れのマーモットの家族がゆうゆうと道を横断していくことも多いので、この標識は単なる飾りではない。頂上のネイチャー・センターには、バーノンを中心とするオカナガン渓谷北部のエコ・システムについて、地理的解説から動植物の生態、そして自然を題材にした写真の撮影のコツまで、様々なテーマでの展示がなされている。展示品のほとんどは手作り。気象台時代の机の引き出しや戸棚が、そのまま展示ケースになっている。お菓子の空き箱に整理された標本、手書きの解説表など、自然を愛する人々の思いがそのまま伝わってくる。
プロの学芸員がデザインした自然博物館の展示に比べれば、「見劣りがする」という見方は当然あるだろう。しかし、自分たちを取り囲む自然をじっくりと観察し、そこから得た驚きと喜びのエッセンスが展示品となって表現されているだけに、普通の自然博物館や植物園、動物園などとは一味違う温かみがある。ここでゆったり過ごす半日は、訪れた人々の心に長く残るだろう。

世界唯一(!?)のマーモット・ウォッチング

 アラン・ブルックス・ネイチャー・センターは、毎年初夏から秋までオープンしている。毎年のオープンを楽しみにしている人は多いが、特に待ち望んでいるのはバーノン周辺の小学生たち。ほとんどの展示品は直接触れて観察しても良いことになっているので、ひとしきり標本を触ったりして熱心に展示室を回って行く。その後は人気の野外観察だ。
 ネイチャー・センター周辺の丘陵地帯には遊歩道が造られており、北部オカナガン地域のエコ・システムの様々な表情を実際に体験できる。子供たちに人気があるのはマーモットの観察。草原地帯のあちこちに巣を作っているマーモットのウォッチング・ツアーだ。セ
引き出しや棚の扉を自由に開いて、
自然の不思議を学べる展示
ンターにはマーモット専用の観察記録用紙まで用意されている。
この観察用紙には、立ち上がって周囲をうかがうなど、マーモットの特徴的な動作の例がイラストで描かれており、観察のコツが自然につかめるようになっている。その日の天候など、自然条件を書き込む欄もあり、動物の生態と自然のかかわりなどにも目を向けるよううながされる。子供たちは、この用紙に書き込めることを探そうと目を輝かせて遊歩道を歩いていく。大人にとってもなかなか面白い体験だ。
 地面に穴をほって巣を作るマーモットは農家にとってはあまりありがたくない隣人。しかし、「駆除」という選択だけでなく、マーモットの生態を理解してより適切な対策を立てるためにも、このウォッチング・ツアーは有効だろう。

アラン・ブルックスの夢を引き継ぐ

 アラン・ブルックスはカナダにおけるナチュラリストの先駆者の一人。1920年代から30 年代にかけて、オカナガン地方を中心に活躍し、野鳥や野性動物を描いた多くの作品を残している。現在ネイチャー・センターが立っている一帯は、ブルックスが特に愛した地域の一つ。バード・ウォッチングによく訪れた場所として、彼の多くの作品の背景ともなっている。また、5 歳の時にすでに野鳥の写生をしていたといわれるブルックスの記録は、『カナダの鳥類』を始めとする多くの著作にまとめられている。
 『アラン・ブルックス・ネイチャー・センター』は、ブルックスの愛した土地で、彼が目指した野鳥や野性動物の保護と、大自然への理解を深めるという意思を引き継ぐ活動だ。ブルックスの描いた野鳥や野性動物の絵画は、今でもオカナガン地方のあちこちで目にすることができる。餌である小鳥に狙いをさだめた、鋭い目つきの鷹を描いた『ハンティング・ホーク』もその一つ。この絵を自慢のワインのラベルに採用したワイナリーもある。

自然への愛がワインを育む 

 オカナガン地方は日中と夜の温度差に大きな開きがある。これが極上のワインの味を引き出す大切な要素になる。大小のワイナリーは、どこも歴史は浅いが、それだけにワイン作りへの取り組み方は意欲的で柔軟性もある。栽培するワイン用のブドウの種類の選択に
アラン・ブルックスの絵は
ワインのラベルにも使われている
も、慣習にとらわれない自由さがある。試飲ルームで思わぬ「お気に入り」に出会う可能性も高いので、ワイナリー巡りも楽しい。
オカナガン地方は、ほんの短い距離でも微妙に気象条件が違うので、ゆったりとした日程でワイナリーを訪ねてみたい。途中の景色の変化もワインの味わいを深くするだろう。ブルックスが愛した野鳥や野性動物に出会える可能性も高い。

( 今回の記事は2001年11月の現地取材をもとに構成したものです。)

 
●アイス・ワイン
アイス・ワインは通常の収穫時期に収穫せず、過剰に熟成させたブドウから生まれる。収穫は気温が零下10度近くまで落ちる日が選ばれ、凍ったままプレスされる。収穫やプレスの途中で気温が上がり、ブドウが解凍されてしまえば、その年の収穫は失敗ということになってしまうだけに、ワイナリーの人々は初冬の気候に神経をとがらせる。絶好の気温と判断が出れば、真夜中でも収穫が始められる。収穫は手作業。すぐに指先が凍りつくように痺れてくる。ブドウ畑には作業の人々の吐く白い息が薄い霧のように広がっていくという。こうして収穫されたブドウから、ごく少量のトロリと甘い濃厚なジュースが絞りとられる。それが最近日本でも注目されているアイス・ワインに生まれ変わるのだ。独特の甘味をほんの少し味わう……ワインを愛する人々の至福の時だ。
 
地図と情報

●BC州全体の観光情報、ホテルの予約などは
ブリティッシュ・コロンビア州観光局のサイトを参照
www.Hellobc.com

●オカナガン地方の地図
www.thompson okanagan.com

●アラン・ブルックス・ネイチャー・センター
Allan Brooks Nature Center250 Allan Brooks Way,
Vernon, B.C., Canadatel(250)260-4227

センターは、毎年5月から10月までオープンしている。開館時間は毎日10時から17時。料金は大人4$子供3$。センターへの地図やその他の情報は下記のURLにて。
www.abnc.ca