FILE-005
少数者への優しいまなざしを持つ女性

林佳恵
さん
装丁家・ライフスタイリスト

はやし・よしえ
1950年、富山県魚津市生まれ。
装丁家・ライフスタイリスト。
フェリス女子学院大学国文科、明治大学文芸学科、ともに中退。
学生時代に結婚。2人で出版社を立ち上げ、このとき装丁の面白さに「ハマる」。
2人の男の子に恵まれるが、30代のとき離婚。
独立し、フェミニズムから環境・文学まで書籍の装丁を手がける。上野千鶴子著『女遊び』の大胆華麗な装丁はつとに有名。日本テレビ『笑点』のカレンダー『笑点暦』のデザインを15年来続けている。
企画から手がけた『子どもにできる地球にやさしい24時間』は新版になってからも版を重ねるロングセラー。執筆・講演など多方面で活躍中。
他の著書に小林カツ代氏との共著『エコロジー・シンプル宣言』『あっぱれ冠婚葬祭』、またエッセイ集『箸と風呂敷と猫』『林佳恵のきもので遊ぼ』がある。



8月のある日、林さんの仕事場兼ご自宅を訪ねました。門まで迎えてくださった林さんは果たして着物姿。うだるような残暑も忘れ、林さんの凛と涼やかな様子に魅せられました。

着物姿の装丁家が今日も行く

----いつも着物をお召しになっているのですか?

そうですね。30代の中ごろから仕事着として着ています。
講演会なんかに伺うと、私のエッセイなどを読んでくださった方が着物をお召しになって会場にいらしてくださるんです。あるとき、講演の最後に伺ってみたことがあります。「今日、お着物で街を歩いてらしていかがでしたか?」って。年輩のその方は「いつもより、若い方が大事にしてくださったように思います」っておっしゃったの。なんだかうれしくなりました。多分、着物を着るとほっこりした雰囲気が生まれるんでしょうね。いいお話を伺えたなぁと思って、それ以降の講演会でもその方のお話をして、会場の方々に是非着物をお召しになってみてくださいって、お伝えしています。

着物って不自由だと思われがちですが、とても自由な衣装です。体型が変わっても体に合わせて着ることができるし、お掃除だってできるし、走ることだってできるし、バッティングセンターで遊ぶことだってできるんですよ(笑)。つまり、不自由だという着物のイメージがどれだけ作られたものか、ということです。小物や帯の合わせ方次第で、着こなしにも無限の可能性がありますし、たためばペチャンコになるわけですから、収納も簡単。リサイクルにも適しています。

私は今、着物をリフォームした帯をご紹介していますが、これもとても好評です。浴衣なら最後はオムツになるまで使えます。おばあさんの着物をその娘が着て、孫が着てって長い時間を耐えることができる。日本の気候風土の中で育てられた衣装ですから、工夫がたくさん施されています。冷えからも外反母趾からも解放され、穏やかな心にもなりますので、着物を着ていてよかったなぁって思います。

少数者とお手元持参

でも、仕事先に着物を着ていくとびっくりされ、白い目で見られることもありました。今でこそ、着物の人と思われていますけれど、ね。でも、そういう少数者の立場に身を置くと、世の中が見えてくるんです。少数者がどれだけいじけさせられるか。私は障害が立ちふさがると向かっていく性格だからなんとかやってこられたけれど、今、いじめられて、どうしようもない環境に置かれた子どものことなどがよくわかります。どうやって追い詰められていくか。少数を攻撃する、人間って情けないところもあるんですよね。

着物を着始めた頃、私はお箸を持って歩くようになりました。実は私の周りでも途中で挫折してしまった人が多いです。冷たい目で見られて、ね。みんなが割り箸を使っているところでお箸を持ち出すと、なんだか持っていない人を非難しているようにも見えてしまいますから。だから、私は「これね、面白いお箸なのよ」って、愉しい雰囲気で持参のお箸を使うようにしています。「もったいないから、割り箸使うのを止めなさい」などと言うつもりはありません。だって、もうみんなわかっているんですよね。敢えて言いません。私一膳だけのものだけど、でも、使えばゴミになってしまうし、割り箸はもう出来上がっているものだけれど、でも、使わなければゴミを減らせる。しかも、自分のお箸で食べればおいしいですよ!って言うと、「そうですか。じゃあ、私も持ってみます」と言われます。

私は、洋食でもお箸を使うことがあります。サラダを注文してドレッシングがはねてしまいそうなときってあるでしょう。お箸はとても重宝ですよ。
今、登山者が山で使う携帯用のお箸を愛用しています。(写真参照)一度は工芸品のようなお箸を持って歩いていたんですが、どこかに忘れて無くしてしまったんです。
だから今は、この携帯用です。小さいのでとても便利です。

アルミ製の端にあるねじを開けると、木製の半分が出てくる。これを組み合わせて。長めで重さも適度なので、とても使いやすい。


仕事をして、子育てをして、作った環境の本

---- 林さんは装丁家として様々なブックデザインを出掛けていらっしゃいますが、装丁のお仕事を始められたきっかけはなんですか?

 結婚して、二人で社会科学関係の本を作る出版社を立ち上げました。二人だけですから、編集も営業も装丁もやりました。社会科学系の本では装丁はそれほど重視されない傾向があったんですが、私にはそれが気がかりだったんですね。もっとその内容を的確に伝えて、読者に手に取ってもらえるカバーにしたかった。そうして、装丁に傾いていったのです。

 ゲラ(校正用に印刷された原稿のこと)を読み、気になるところは赤線を引いたり、切り抜きノートを作ったりしながら、私なりの思考の核を作っていきました。その延長線上で仕事をしながら、子育てをしながら、生活者の視点で企画したのが『子どもにできる地球にやさしい24時間』だったのです。子どもが小学生のうちに、どうしても伝えておきたいな、と思ったことをまとめました。

『子どもができる
地球にやさしい24時間』

一日の流れに沿って、どんなふうに暮らしにエコロジーを取り入れられるかを、愉しいイラストをたくさん使ってわかりやすく説明した本。根強い人気で新版になってなお版を重ねている。(学陽書房)



---- 社会科学系の本を編集なさってもいましたし、もともと環境に関心がおありだったのですか?

いえ、専門に学んだ訳ではありません。社会科学が好きだったのは人間に興味があったからです。特に少数者に関心がありました。郷里で、東京から嫁いだ母が、地元の人たちから厳しい視線を受けているのを見て育ちました。だから、そういった視線に敏感になったんだと思います。大学では文学を学びましたが、それは修辞法を知りたかったからではなく、そこに描かれた人間に興味があったからなんです。環境問題も仕事をして、子育てをする中で自然に意識していったことです。
 きっかけになったのは、姑が教えてくれたこと。私は20歳で同棲、同居して、姑から様々なことを教わったんです。例えば、夕飯の支度をしていると、姑はほんの少しだけお肉を残していました。「どうして残すのですか?」と尋ねると「朝ご飯のお味噌汁に入れたら、だしも取れるし味も深くなるでしょう」という答えが返ってきました。このことをある会合で小林カツ代さんにお話ししました。小林さんは、すごく共鳴してくださって「林さん、これからはそれを“残り物”ではなく、“残し物”って言いましょう」とおっしゃったの。これは、私の背中を押してくださった一言でした。漠然と思っていたことに核が与えられたような。
 小林さんとはそれ以来のお付き合いです。そして、『エコロジー・シンプル宣言』という本をごいっしょに作ることができました。

『エコロジー・シンプル宣言』
「始末」をテーマにしたライフスタイルのヒントを語った本。近々、学陽書房からリニューアルされることが決まっている。

「リサイクル」が見えなくしたものにご用心!

----ご本の中で生活面でのエコロジーについてお書きになっていらっしゃいます。今後、環境問題において何が必要だと思いますか?

環境問題は、上からも下からも変えていかないとよくならない、と思います。つまり、個人の力と政治の力ですよね。こちらが望まないのにゴミになるだけの商品がどんどん生産されています。最近、とくに気になることですが、例えば、ペットボトルがリサイクルできる、と言われ、リサイクル商品としてフリースと呼ばれる衣料が販売されました。でも、結局フリース製品は、必要がなくなれば廃棄されるわけですよね。ペットボトルが廃棄されるまでの間にワンクッション挿入されたにすぎません。「リサイクル商品」と言われて安心してしまうけれど、それはその商品の最後が見えにくくなっているだけなんですよね。牛乳パックだって、リサイクルで集められても今や、カビが生えた状態で製紙会社に山積みになっていると聞きます。

こういう事実をもっと声を大にして言い、環境問題そのものを考え直さなければいけないのではないでしょうか? リサイクル都市だなんて宣言して空き缶を集めても、空き缶は増える一方。そんなに缶飲料を飲んで、健康面はどうなんでしょう。誰を利するのかを考えることが大事です。「リサイクル」という言葉が免罪符になって、リサイクルできるからいい、という安易な判断を招いていないでしょうか? 履き違えていないでしょうか? 今、もう一度考え直す必要があると思います。基本的な解決を遠ざけるものには、はっきりNOと意思表示。声を上げなければ世の中は変わりませんからね。
私は、環境の専門家ではないけれど、だからこそ、素人の発想でおかしいと思うところを率直に「おかしいんじゃないですか?」って言っていきたいと思っています。

人間関係、環境問題、すべて「始末」の輪

----『エコロジー・シンプル宣言』では、環境問題を「始末」という言葉で表現していらっしゃいますね?

 始末って文字通り「始まり」と「終わり」でしょう? 環境問題ってこのサイクルなんですよね。何か商品を作るときには、最後にその商品がどうなるかを考えておかなくてはいけないということです。ゴミになっときに環境に害を及ぼさない工夫ですね。そうすれば、必ずいい循環が生まれるはずです。

循環は人間関係にも敷衍されますよね。親が子どもに語りかけるのも一方通行にならないように、対話を心がける。循環がうまくいくことが大事なんだと思います。人間関係も環境問題、というわけです。

始末を考えたら、できるだけシンプルな循環が望まれるのではないでしょうか? 牛乳パックを回収するより、宅配の牛乳ビンをリユースしたほうがシンプルな循環です。それに、ビン入りの牛乳はおいしいですよ。

私は今、「大地を守る会」という生産者の顔が見える食品・製品を販売するネットワークに入っています。残念ながらこちらの牛乳はビン入りではないのですが。でも、野菜もお肉も生産者がわかる商品ばかりです。生産者の手紙が入っていたりします。責任をもって生産している、ということですよね。多少高くはなりますが、安全を買うと言う意味もありますからね。注文に応じて週に一回、まとめて宅配してもらえるんです。

大地を守る会 http://www.daichi.or.jp

 子どもが小さいときから物事は「始末」なんだと知らせていくことが大事です。始末って、想像力ですよね。物事の先に何があるかを考えるわけですから。それは、仕事でも同じ。次の工程に何が行われるかがわかって、その工程がスムーズに行く方法を考えられる人とは仕事がしやすいですよね。時間と労力の無駄がはぶけます。そう考えていくと「始末」の輪はすべてに通じる、というわけですね。(談)