竹林の中の道は散策路として人気がある



 長岡京市は、京都市の南西、やわらかな稜線を描く西山の峰々のふもとに広がっている。山並みは杉などの美しい木々で覆われ、山すそには神秘的な竹林が続く。地味に恵まれた農村地帯としても知られ、歴史的な遺跡や由緒ある寺社も多い。しかし、昭和40年代からは、京都や大阪のベッドタウンとして都市化の波に常にさらされてきた。一方、珍しい蝶の生息地としても注目されている西山の自然を護る努力は地道に続けられている。





 西山浄土宗の本山、光明寺は西山の広谷の斜面に広がっている。浄土宗を開いた法然上人が、初めて念仏の教えを説いた場所として知られる境内には、楓の木がたくさん植えられており、秋になるとまるでトンネルのように紅葉が参道を覆いつくす。ここは、最近まで観光ガイド本にもあまり取り上げられず、観光ポイントとしては「知る人ぞ知る・・・」といった程度の静かな寺院だった。しかし、航空会社のポスターやビール会社のコマーシャルなどに登場するようになって、ここ5年ほどの間に急激に参拝客が増えて来た。

 光明寺は、普段は総門を閉めることもなく、入山料のようなものも設定しない。どのような目的であれ、境内に入る人々は全て参拝者だからだ。紅葉見物の人々も例外ではない。しかし、寺の関係者はあまりの人数の上昇に大きなとまどいを覚えるようになった。まず心配になったのは楓の木々だ。境内の楓は150年ほど前にほぼ一斉に植えられたもので、すでに「老化」の兆しを見せている。参拝客が増えれば、参道の石畳からはずれ、楓が根を張る土の上を歩く人も多くなる。土は踏み固められ、楓への悪影響はてきめんに現れてきた。普段は静かな道に入り込む車の騒音や排気ガスも軽視できない。



鮮やかな紅に染まる光明寺の楓


光明寺の楓は、長岡京市の保存樹木に指定されている

 関係者の間での長い検討を経て、光明寺は昨年から紅葉ピーク時、約一ヶ月間の有料化に踏み切った。楓の周辺に柵を作り、新しい木も移植された。これで「紅葉参道」の素朴な美しさは、ある意味では消えてしまったといえるだろう。しかし、皮肉なことに有料化に踏み切ってから紅葉期の参拝客は増えているのだ。11月に入ってから、光明寺のウエブサイトは2000ヒットを越える日が続いた。

 楓の木々の保護と育成は長期的な計画と資金を必要とする。今後、楓の老化が加速すればさらに問題は大きくなるだろう。保護計画に「観光」を取り入れることと、信仰の場としての寺院のありかたについては、まだまだ十分な議論はつくされていないようだ。


周辺の土が踏み固められて木の根が露出している






畑の周辺に植えられた木々が蝶の産卵場所になる



 西山の斜面は、手軽なハイキングルートとしても知られている。光明寺の周辺には、柳谷観音、善峰寺、三鈷寺、乙訓寺などの名刹があり、洛西観音霊場をめぐる人々も多い。長岡京市は、この散策路の観光化を積極的に進めており、標識の整備なども進んでいる。最近は名物の竹の子をデザインした道案内の石碑まであちこちに建てられているほどだ。

 しかし、ここでも人の流れと環境の保全との間には様々な矛盾が起きている。それを象徴しているのがウラジロミドリシジミと呼ばれる蝶だ。この蝶は独特の蒼い輝きを持つ羽で知られ、蝶の愛好家にとってはあこがれの一種。しかし、この蝶はナラガシワなど、特定の木にのみ卵を産み付けるので、都市化で里山が縮小するにつれて絶滅の危機に瀕するようになった。現在は京都府の凖絶滅危惧種に指定されている。西山周辺の農家の人々は、畑の周辺に土止めのために植えられたクヌギやナラを大切にすることで、この蝶の生息地を護ってきた。クヌギやナラは普通5年ごとぐらいに枝を切るのが理想とされている。それ以上大きくなると、畑に日が差すのに邪魔になるからだ。しかし、西山で耕作する人々は、できるだけ伐採を避けて「蝶の産卵場」を確保しようとしている。


光明寺では楓の植林にも力を入れているが、成長は順調とはいえないようだ



神水として大切にされてきた湧き水が西山をうるおす

実は数年前までは「この周辺はウラジロミドリシジミ蝶の生息地です。環境と大切にしましょう。」という看板が出されていたのだが、最近はそれが消えている。人気ハイキングルートの途中にある生息地を特定すると、かえって産卵の場が荒らされるからのようだ。西山の自然に触れるための山道が、「秘密」を抱えなければならないのが現状だ。

西山周辺は、里山の環境に及ぼす影響などを学ぶにはもってこいの場。市や民間の団体による森林整備のボランティア活動も始まっている。観光化の弊害はしばしば語られるが、多くの人々にとって観光は「都市のすぐ近くの自然」に気づく大切なチャンスでもあるはずだ。しかし、光明寺の僧侶たちをはじめ、西山の自然を護る最前線に立つ人々の前には様々な問いかけが広がっている。

(取材・文責/宮田麻未  写真/神尾明朗)

★この記事は2005年11月の取材をもとに構成したものです。
光明寺へのアクセスなど詳しい情報はwww.komyo-ji.com へ。




楓を保護する柵が張られた「紅葉参道」