月の光が降り注ぐ場所での狂気について書いていて、
ふと、そのアンコールワットと同じような風景を思い出した。
ポーランドの南、オシフェンチウムにある
第2次大戦中の絶滅収容所、ビルケナウのファサードだ。
有名な「アルバイト・マハト・フライ」(働けば自由になる)の門を
掲げた第一収容所の次にできたとされる、
これまた象徴的なあの門構え。
僕は何年か前の晩秋の夕刻にこの場所に立った。
首都ワルシャワからクラクフへ向かう電車のなかで
不覚にも財布を掏られ、警察に届けを出したあとでのこと。
急に寒さが大地からこみあげてきて、背筋に悪寒が走った。
写真や映像で見慣れた正面、
でもそこに引き込まれる鉄道の上に立つと
刷り込まれ、といわれるかもしれないが、
確かな恐怖の感覚がある。
その人工的なシンメトリックな佇まいに
狂気はむしろバランスの上に成立するものかとも思う。
アウシュヴィッツの博物館はあまりおもしろくない。
というより、やはりテーマパークなのだ。
でも、この門をくぐった向こうに広がる
荒漠たる風景こそ恐ろしい。
かつて岡本太郎は広島の被爆地を
何もない空間にしろ、といった。
グランドゼロのときもそんな議論があった。
何もない風景の恐ろしさ。
それが、シンメトリーという「論理」の向こうで
口をあけている。