ノマドの世紀に



ノマドの世紀に:vol.1セレンゲ河の流れる森で(モンゴル)

その恵みに静かに頭を垂れ

とても静かな夜を想像してもらいたい。
僕たちはそこにいた。
4月のタイガ。おそらく氷点下。
虫の声すら聞こえない丘の向こうから白く光るような月が昇り、
青臭さを含んだ夜の風が森の木々を揺らせている。
ただ、木々は白樺、葉の擦れる音はしない。
ヒユーヒユー、それは木枯らしの吹く笛の音にも近い。
僕たちは待っていた。さっきもうからずっと。
ハルヒの酔いに身をまかせながら、それでも
しんしんと攻め立てる大地からの冷却に耐えながら。
狼だろうか、一瞬こちらのライトに目が光る。
追い詰める。僕たちの手にはカラシニコフが握られている。
それはカモシカだった。カモシカの目が金色に光った。
相棒のチンバがトリガーを引き、
殺傷力の強いカラシニコフの弾丸が
一瞬にしてカモシカを倒したかに見えた。
距離にすると80メートルはあろう。
近寄ってみる。
カモシカは倒れながらもこちらをじっと見て、
金色の瞳で何かを訴えかける。何を?
そして立ちあがり、またかけだそうとする。
だが足元はおぼつかない。目と目が合う。
命のやりとりの瞬間。ためらいがないわけではない。
カラシニコフがふたたび火を吹き、
銃声が森の静寂を引き裂き、
カモシカは目を宙に浮かばせぐったりと大地に倒れた。
僕たちは白い息を吐きながら、彼を抱き上げ、
胸にナイフを突き立て一気に心臓を裂く。
血を大地にこぼさないよう、その恵みに静かに頭を垂れ、
真剣にゆっくりとそれを飲む。
さっきまでアルヒが入っていたコップに血が満たされ、男たちが回し飲み。
月の光に照らされた鮮血は濃厚なワインのような色合いだ。
生暖かくメタリックでほのかに甘い。芳しき森の命の香り。
ロシアの国境に近い、モンゴルはボルガン県の森の中。
夜が明けるにはまだ遠い。