~地球の声に耳を傾ける~
エコピープル

2024年夏号 Ecopeople 100吉田夏織さんインタビュー

2 浅き春の北海道、大地の恵みが循環するメニュー



編集部
メニューを考える時、一番大切にされていることは?

吉田
“いまだから、ここだから”をお客様に感じていただけるメニューをお出ししたいと思っています。私が今、感じていることを過不足なく、そのままお皿の上に表現できたらと…。
例えば今日、最初にお出ししたのは“楓の樹液”なのです。雪が溶け、芽吹く前の樹木は地中からたっぷり水分を吸い上げ、これから始まる枝葉の生育に向けて備えています。
メニューカードのメッセージにも書きましたが、長い冬がやっと終わり、春を待つ大地の力と喜びがみなぎる風景が思い浮かぶようなメニューを組み立てたいと思っています。








編集部
確かに。今日いただいたどのお皿にも、あたりはまだ冬景色でも北国の春がすぐそこまでやって来ていることが伝わってくるようでした。

吉田
私は、料理人がそれぞれの料理に名前をつけたり、食材説明を長々書くことは必要ないと思っています。お客様がお皿の上に展開するストーリーをご自分で感じ、個人的に思い描いてくださることが大切だと考えています。
今日も最初にテーブルにお持ちしましたが、その日、お召し上がりいただく生の食材を大皿に盛ってご覧いただき、これから食べる料理に活かされたそれぞれの生命の姿を見ることで、ご自身も自然界と繋がっていることに思いを馳せていただくようにしています。
編集部
確かに野菜たちと共にプレ・ノワールの脚が見えた時、シェフの考えがはっきり読み取れました。レストラン脇の鶏舎で育てられている雌鶏を私はこれから食べるのだと。
ところで、動物たちを屠る作業もご自身でされているのですか?

吉田
鶏類は私たちスタッフで対処しています。ただ、四つ脚(牛・馬・豚・山羊・羊の5種)については、獣医師の資格を持つ“屠殺検査員”の安全管理の下での解体作業が義務付けられているので、私たちはウチの動物たちをここから送り出し、専門業者の手に委ねています。ただ、頭も皮も臓物類も全部戻していただき、その命に感謝し、全ての部位を徹底的に使いきることを心がけています。
エントランス脇のブティックに置かれていた鞣し革や頭蓋骨などは、私たちが大切に育ててきた動物たちのものです。






編集部
吉田さんはご自分の作られる料理の素材、その全てをご自身でつくりたいとお考えなのでしょうか?

吉田
いいえ、そんなことは考えていません。
ただ、「AGRISCAPE」のテーブルで供する食材に全力で関わろうという思い、姿勢はこれからもずっと変わらないと思います。
なんでもかんでも自分たちの力だけで料理を作ろうなどと考えることは不遜ですし、第一不可能です。貴重な知見と経験を持つ優れた農家さん、畜産家などに教えていただき、自分でもできることには積極的に挑戦したいと思いますが、圧倒的に素晴らしい野菜、例えばアスパラガスなどは、師匠とも言える方々の畑のものを分けていただいています。
先ほど、雪の下から掘り起こした根セロリ(セロリアック)などは、味を気に入ってくださった東京のレストランのシェフのご注文にお応えしてします。
北海道の大地が生み出す高品質の素晴らしい食材をみんなの力でつくり、大切に扱い、その美味しさを幅広く広めていきたいと願っています。

雪の下から掘り出した根セロリ(セロリアック)

編集部
今日のメニューを改めてご紹介いただけますか?

吉田
最初はこの季節だけ味わうことができるカエデの樹液を小さなグラスで。春の到来を告げる透明な味わいです。
次はパースニップ(セリ科の二年草: サトウニンジンとも呼ばれ、冬の寒さに最も強い野菜。越冬後は甘みが最高に増す)、ヤーコン(南米アンデス原産のキク科の根菜)とアーモンドを泡仕立てでサクッと。













吉田
そして、伝統の保存食である黒豚生ハム、炙りベーコン、アンドゥイエット、パテ・ド・カンパーニュ、鶏レバーパテの取り合わせにはルッコラサラダを添えました。
自慢の札幌黄タマネギのオニオングラタンには縮みほうれん草のガレットを添え、ビニールハウス内で咲き始めた小さな花で飾りました。
次も野菜をメインに、春掘り大根とカラシナ(アブラナ科の越年草)に山わさびの色あざやかな一皿を。
































吉田
メインの一皿目、黒豚ロースにはユリ根と今が旬ののらぼう菜。のらぼう菜は菜の花に似ていますが、江戸時代から日本人が食べていた野菜で、程よい歯ごたえと甘味が味わえます。
二皿目はプレノワールのロティ、ごぼうと内臓と蕗の薹のソースで。
デザートは、烏骨鶏の卵を使ったプリン。烏骨鶏はマルコ・ポーロの『東方見聞録』では優雅な白い羽で“シャム猫のように柔らかい絹糸のような羽根に包まれた珍しい鶏”と紹介されています。ちなみに烏骨鶏は産卵率が非常に低く、一週間に1個くらいしか卵を産みません。プリンの仕上げには、ディナーの最初に頂いた楓の樹液を凝縮させたシロップをかけて。浅き春の自然界の循環を一巡させました。



















編集部
まさに「いまだから、ここだから」のシェフの想いが込められたメニューの展開、北海道の春のストリーなのですね。どのお皿もそれぞれの食材が独特のハーモニーを奏で、それぞれのパートを音色を感じることができました。
日々、野菜の生育、動物たちの世話や、メニューの立案から調理、ゲストのお迎え、とマルチタスクをこなされる日々をお過ごしだと思いますが、自然相手のお仕事ですし、ストレスや不安を感じることもおありかと?

吉田
先日体調を崩し、初めて不安のようなものを感じました。心身共に健康を保つことが、物事をポジティブに考え、より良い思考と正しい行動の循環を生み出すことを実感しました。ここ、小別沢の里山の自然に生かされ、レストランの枠を超え、サステナブルな人間空間を大切な仲間たちと共にじっくり創り上げてゆきたいと思っています。