~地球の声に耳を傾ける~
エコピープル

2023年秋号 Ecopeople 97『木々の声を聴き、
風を読み、大地の呼吸を感じる。
循環と再生を、みんなの手で。』
矢野智徳さんインタビュー

1 Pulse(脈)

編集部
矢野さんの環境再生作業、全国の現場に赴かれて、まず最初にされることはなんでしょう?

矢野
観察です。自然を相手にする作業で最も重要なことは自然観察だと僕は思っています。じっくりその環境と向き合い、三次元の空間として捉え、そこに存在する空気や風の流れ、生息する動植物、そして地中の水分や空気の循環状態を五感で測ることから始めます。
編集部
チェックポイントとなるのは?

矢野
その地を構成する自然界の「呼吸」が如実に現れる空気や水の循環が地上と地中の両方で機能しているか読みとる作業です。対象エリアを歩き、空から降った雨が大地の循環システムとして地中に吸収され、地下の水脈となり、空気を含む豊かな土壌となり、微生物を育む健全な自然が成立しているかを目視から始まって、五感で大事に確認します。


編集部
つまり、自然環境を気象学的な感覚で観察されるということですか?

矢野
地上で起こることに大地そのものが大きな影響を与えることは、昔の日本人なら誰もが知っていたことだと思います。大雨による洪水、日照りによる旱魃は自然界においては、自然現象です。ただ、そうした事態が生じても普段から健全な循環が地上と地中の双方で機能していれば、自然は自らの治癒力を発揮し、災害を最小限に止めることができることは知られていました。何故なら昔の日本人は生身を通して、自然を感じ、自然の移り変わりに寄り添い、共に暮らしてきたのです。
僕のしていることは新しい発見や特別な方法ではなく、かつて僕らの先祖たちがやっていたように、自然が呼吸し、“本来のしごと”ができるようにお手伝いしているだけです。
長等山の山腹に位置する三井寺(*)の由緒ある新羅善神堂(*)周辺は鎮守の杜、人々を見守り続けてきたこの杜に再び気持ちのいい風が吹き、水が流れ、光が差し込む“道すじ”をつくるには、まずは自然の立場からの観察。地上と地中の双方の空間から、空気と水がどんな「脈」をなしてつながり、どこへ抜けていくのかー観て取れる「脈」の状況から途切れた箇所を突き止め、道を繋ぎ合せるのが僕らの作業です。





* 新羅神堂 国宝|三井寺の鎮守社のひとつ。北院伽藍の中心建築 貞和3年(1347)に再興さらた檜皮葺屋根の「流造」の代表的な遺構。
https://miidera-museum.jp/cultural-property/contents/19/

天台寺門宗総本山三井寺|正式名称:長等山園城寺(*)
滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山(ナガラヤマ標高354メートル)中腹の広大な敷地に建つ山寺、三井寺の縁起は7世紀に遡る。667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれるが、天皇の崩御に伴い、壬申の乱が勃発。大海人皇子(後々天武天皇)との戦い乱に敗れた父、大友皇子の霊を弔う為に、大友与多王が田園城邑を寄進し、寺を建立。天武天皇から「園城」という勅額を賜ったこと。並びに、天智・天武・持統天皇の誕生の際に、御産湯に用いられた霊泉があったことから三井寺と呼ばれるようになったとされる。
http://www.shiga-miidera.or.jp/about/index.htm





編集部
お堂の裏山から境内に至る広場まで曲がりくねった溝が掘られていますね。

矢野
大気中での空気の道は下降気流と上昇気流、それに寒・暖の2種類、季節によってその動きは変わります。地上では木々の枝を払ったり、伸び過ぎた草を刈ったりして風が流れる道(地上部の風の動線脈)をつくります。地中には空気と水の二つの道を共存させるため、高所から低所に向かって適切な深さの溝を掘り道をつくります。埋め込むチューブは水道管のような密閉タイプではなく、空気を通すための網目のような管です。そして管の周辺には間伐した木々の枝や竹などを様々なサイズに加工し、しがらませていきます。土をかけるのではなく、土壌改善にも繋がる現場に元々ある“自然の素材”を用います。これから再生される“道”が異物や外来種による環境破壊などの思わぬ弊害が生じることなく、しかも資材購入や輸送のコストも要りません。




編集部
全てを現地調達とする原則を厳守することことで、不要なコストをかけず、同時に自然にも負荷を一切与えないという訳ですね。

矢野
作業をしながらしばしば痛感するのですが、歴史を持つ杜の立地は昔の人々の深い叡智によって判断されたものだということです。鎮守の杜を築く時、昔の人たちは自然界の循環、「良い気」を何よりも大切にしてきたという事実です。
「杜」という文字が示すように、こうした場所には「木」と「土」の循環が存在しています。僕らはただ、神様の居場所を「傷めず、穢さず、大事に使わせてください」と祈って、少しばかり手を加える…。自然を敬う気持ちを持ってあたりを見回せば、そこで何をすれば良いのかが見え、それを実行するにあたって必要な資材も現地にはすでにある、僕らはただ手を動かせばいいだけだと気づかされるのです。 それが、その場における、雨・風の技(わざ)なのです。