色々な生き物に愛を注いだ新美南吉さんが岩滑(やなべ)にいらして、今、同じ場所でほたるを飛ばして、子どもたちに夢を見せていらっしゃる。土本さんが、南吉さんと関わるようになったきっかけはなんでしょうか。
土本|
僕は今80歳で、子どもはもう50代になります。かれらが幼いころ、半田市の児童合唱団に入り、『貝殻』という歌を練習していたのが南吉さんを知った最初のきっかけです。「かなしきときは/貝殻鳴らそ。/二つ合わせて息吹きをこめて。」と始まる――。これ、新美南吉さんの歌よ、と教えられて、どういう人だろうかと興味を持ちました。
そのあと岩滑に住むようになって、僕は『天国』という詩を知りました。
お か あ さ ん た ち は 、
み ん な 一 つ の 天 国 を も っ て い ま す 。
ど の お か あ さ ん も
ど の お か あ さ ん も 、も っ て い ま す 。
そ れ は や さ し い 背 中 で す 。
ど の お か あ さ ん の 背 中 で も 、
あ か ち ゃ ん が 眠 っ た こ と が あ り ま し た 。
背 中 は あ っ ち こ っ ち に ゆ れ ま し た 。
子 ど も た ち は
お か あ さ ん の 背 中 を
ほ ん と の 天 国 だ と お も っ て い ま し た 。
お か あ さ ん た ち は 、
み ん な 一 つ の 天 国 を も っ て い ま す 。
17歳のとき、伊勢湾台風にあって、お袋を亡くしているんです。自分のお袋のことを思い出して、この詩はすっかり僕の頭に入ってしまった。お袋はちょうど南吉さんと同じ歳なんです。生きていればお互い百何歳だね。
ご自分のお子さんから南吉さんのことを教わって。その南吉さんの詩が、1959年の大きな災害で亡くなったお母さまとの思い出を呼び起こしてくれたのですね。
土本|
はい。僕はもともと福井の生まれで、5,6歳の頃、九頭竜川(くずりゅうがわ)と足羽川(あすわがわ)という大きな川にゲンジボタルを見に行きました。ホタルブクロという花の中に、ほたるを入れて口をすぼめると、和紙を透かしたみたいに光るのが、いまだに記憶に残っていてね。お袋はほたるを捕まえては、ホタルブクロの中に入れて、幼い僕に見せてくれたんだなあ。
ああ、お母さまと、ほたるを見た思い出があるのですか。
土本|
そうなんです。それで、10年前、同年代の岩滑の人が「昔、ほたるをたくさん見たけれども、いなくなって寂しいね」と話すのを聞いたとき、子供の時のそんな思い出が、ひょいと浮かんできたんです。そうかあ、僕もお袋に連れられて、いっぱい見たなあって。
それから10年もしないうちに、何千匹ものほたるが飛ぶ風景が、土本さんの手でふたたび岩滑に戻ってきて。すごいことです。
土本|
ほたるをもう一度見たいなあ、と言っていた人たちから、おかげでたくさん見えるようになった、と感謝されました。良かったなあと思います。ほたるおじさんと名乗ったら、子どもたちに人気になって、みんなに呼ばれるようになって、それが嬉しくてね。台風でお袋を亡くして、岩滑で『天国』の詩を知って、それを思いながら、70歳になってほたるに惚れて。「ほたるがきれい、ありがとう」と言われると、ますますほたるに惚れ込んで。今、楽しんでいますよ。