インドで成立し、やがて廃れた仏教をチベット独特の感性で到達した境地、“普遍性”。このパーセプションによって、現在、チベット仏教は物質文明に疲れた多くの現代人の心をとらえ、世界的な共感を得ている。すべての生命は平等であり、「前世の業を背負って輪廻を繰り返す」としたチベットの人々の感性では、一匹の蠅も、もしかしたら前世は人間であったかもしれないのだ。
夏の3ヶ月ほどの間に芽吹くわずかな牧草が頼りの寒冷高地での暮らしは、野生種の牛の仲間を家畜化したヤクの放牧にその全てを頼っている。乳からバターを作り、ヤクの黒毛が編み込まれた頑丈で耐久性に優れたテントを住居とし、唯一の燃料として用いられるのもヤクの糞である。ヤクの餌となる牧草を育くむ植物の腐敗土の層はわずか30センチ足らず、それすらも数百年をかけて形成された貴重な土である。その下あるのは乾き切った砂地、この薄い表土を一度はぎ取ってしまえば再生は不可能、たちまち砂漠化が始まる。
チベットでは、この極めて繊細な表土から始まる食物連鎖が遊牧生活を根底から支えている。その微視的なつながりから生まれた生命観は輪廻思想と深く結びつき、人々は慎ましく満ち足りた祈りの日々を、世代を越えて受け継いできたのだろう。チベット独特の鳥葬という風習もこの極限風土を生き抜く知恵の一つであると。