海はかつての「母なる海」のイメージから、「環境被害に喘ぐ海」へと変貌を遂げている。温暖化によるサンゴ礁へのダメージや、藻場の減少。埋め立てや山林の乱開発による土砂の流入などに加え、乱獲による海洋資源の枯渇も深刻な問題だ。自然界には自浄作用があるが、バランスが崩れるとその機能も追いつかない。人間が壊した自然環境は、もう修復することはできないのだろうか?
1993年7月、私は北海道・奥尻島の海域に潜っていた。そこで思いもよらない景観を目にすることになる。海中に昆布や海藻の姿はなく、「磯焼け」と言われる砂漠化した岩礁域がどこまでも続いていたのだ。
漁港で老漁師に話を聞いた。「私らが子供の頃、暖をとるため親たちが次々と山の木を伐採していた。すると海から細目昆布が消えてしまった。ウニはいるけど、岩の付着物を食べるから、苦くて商品価値はゼロ。だから10年ほど前から、漁協や婦人部がせっせと山に広葉樹を植えています」。森からは、豊富な植物プランクトンや、昆布の生育に欠かせない鉄分などが供給されている。森と海は繋がっているのだ。
それから数年後、再び奥尻島の海に潜り、驚愕した。目の前を遮るほどの見事な細目昆布の森が、一面に広がっていたのだ。キタムラサキウニが昆布に群がっている。奥尻島自慢の海の幸がもろとも、見事に蘇っていたのだった。
3.11の東日本大震災では、三陸を中心に、津波による未曾有の被害を受けた。宮城県気仙沼市の舞根湾は牡蠣養殖で知られるが、津波で「牡蠣筏(かきいかだ)」は全壊した。
現地で牡蠣養殖を営む畠山重篤さんは、「森は海の恋人」を提唱された方だが、震災後、畠山さんにお会いする機会があった。「津波で湾は瓦礫と油にまみれ、生きものも消えました。しかし、20年間植林を続けてきた結果が海に現れて、震災から2ヶ月で、湾内には牡蠣の餌となる大量の植物プランクトンが確認できたんです。魚もすぐに戻りました」。牡蠣養殖は、震災の翌年には操業を再開できたという。
海が壊れていくのには必ず原因がある。それを追究し、修復に向けた行動を起こす人々がいることに、大いなる希望が湧いてくる。自分自身も「持続可能で、環境に配慮した暮らしぶりに徹しよう」と思うこの頃である。
水中写真家 中村征夫