遠くのあなたを、想像の指で触れる
“I imagine touching you from afar with my fingers.”
キナバルの旅では、自転車に乗って森のなかの小さな村を訪ね歩いた。
荒れた砂利道の 先で現れた集落はいずれも、時代の変化を受容しながらも自然と共に穏やかな暮らしを
営 んでいるように見えた。そうした時間のなかで出会ったのが、ニーモという名の16歳にな る少年だった。
彼は家の前に置かれたベンチに座って古いギターを爪弾いていた。
「学校 が終わったら、毎日、ここで練習しているんだ。まだ、そんなに上手くないんだけど」と、
はにかみながら語るニーモの将来の夢はギタリストだった。 僕は、恥ずかしがるニーモに無理を言い、
雨上がりの道の真ん中まで出てきてもらっ た。ニーモはカメラの前で手持ち無沙汰に思ったのだろうか。
控え目に弦を鳴らすと、大 きく声変わりする前の澄んだ声で僕の知らない歌を歌った。
今、彼のことを思い起しながら不思議な心持ちになっている。 ボルネオ島に暮らすニーモという少年が、
ギタリストになるという夢を叶える日がやって 来るようにと、本気で願っているからだ。
そして、この願いは、旅が終わった僕のなかに 生まれた小さな希望と呼べるものだ。
もしかしたら、旅をして写真を撮る意味は、この少しくすぐったいような感情を得るた めかもしれない。
遠くのあなたが大切なものを育みながら毎日を生きている。その日々の 尊さを知り、あなたの営みが未来まで
続いていくことを想像するために、遠い世界に向 かって少しだけ指先を伸ばす。
僕のカメラはそうした役割を担ってくれているように思え てならない。 カメラが運んできてくれた、
遠いあなたへの想像に身をゆだねると、僕はいつの間にか温 かな感情に包み込まれている。
奥山淳志