~地球の声に耳を傾ける~
エコピープル

2022年冬号 Ecopeople 94桑木野恵子さんインタビュー

3 食へ向かう

桑木野
その頃、私はこのまま俗世に戻りたくないと思うようになっていました。何かを極めることに気持ちが大きく傾いていた私に、先生はこうおっしゃったんです。
「山に籠り、ひとり静かに真理を追求し、一生を終えることもできる。しかし、「他者」と共に生き、自らを磨いていく生き方もあるのではないか」と。
編集部
「利他」の生き方をもって人生を極める考え方ですね。
「幸福」と定義する上で、日々を健康に生きることを大切に考えていらした桑木野さんをこの言葉が「食」へと向かわせることになったのですね。



桑木野
健康に生きるために「食」は不可欠なもの、五感に訴えかける “喜び” とも密接な繋がっています。さらに「食」は、“ハレ” にも “ケ” にも存在し、日々の食卓でも、何か特別な午餐や晩餐にもそれぞれの喜びと幸せが表現できます。
生きていくための「食」について栄養学的なアプローチだけでなく、「食」の世界をもっと深く、平らかに学びたいと思ったんです。
ヨガでの学びを経て、「健康な食」とはカロリーや栄養バランスだけでなく、「食」は幸福に生きることを願う多くの人々と思いを分かち合える場所であると考えるようになりました。生産者をはじめ、「食」がテーブルに届くまでのさまざまな工程を支えてくださる仲間の輪の中で、「健康で、幸福な食」を表現したいと強く思うようになったのです。
編集部
前回、秋号でインタビューした京大の元総長、現在、地球研所長の山極壽一先生曰く「人間だけが食べ物を分かち合う。動物は絶対に食べ物を他者に与えない。しかし、その人間社会では「食」は毒を盛られる最も危険なシーンでもあったと話されました。山極先生によれば、「本来、その人と楽しい時間をより長く一緒に過ごしたいがゆえに、会食に誘う。」とおっしゃっていました。
しかし、この楽しいはずの「食卓」がさまざまな社会状況下で、現在、かなり危うい状況に追い込まれているように感じます。











桑木野
この状況に私も大きな危機感をもっています。里山十帖で仕事をするようになり数年が経った5年前、4か月ほどマレーシアのレストランでの厨房研修を経験するチャンスをいただきました。20代をほぼ海外で過ごしていたので、私なりに世界には多くの宗教と異なる人種が存在し、複雑に関係し合う文化の上に社会が成り立っているという現実を理解していたつもりだったんですが、久々に訪れたマレーシアの社会の空気に大きな変化が生じていることを感じました。
編集部
どのような経緯で、マレーシアに赴かれたのですか?

桑木野
『a little farm on the hill』のオーナーがたまたま「里山十帖」に泊まりにいらっしゃったんです。このレストランはクアラルンプールから車で1時間くらいのジャングルの中にあり、「Farm to Table」スタイルで一日一客の経営を行うレンストランなんです。




このレストランに以前からすごく興味を持って、その活動をフォローしていたので、オーナーの来訪に大興奮して、直接アプローチしたんです。
「私はあなたの大ファンで、あなたのレストランが大好きなんです。是非ともあなたのレストランで修業させてください」と。
たまたま運良く、シフトから抜けられるタイミングだったので、私のマレーシア行きが実現したんです。
ジャングルの中のレストランはまさにオーガニック。それこそ、提供するハーブ畑も野菜畑も敷地内にあるレストランなんです。
私の滞在は北朝鮮関連の事件直後だったこともあり、進行する社会の分断を目の当たりにすることになったのです。マレーシアはご承知のように、主にマレー系、中国系、インド系の三つの人種で構成される国家です。以前は、街のレストランでは中華系もマレー系も一緒に食事を楽しんでいました。しかしその事件の影響からか、人種ごとに利用するレストランが分かれてしまい、それを知らない日本人の私が入ると、「なんでこいつが入ってきたんだ。お前と一緒に食事なんてしたくない」と一気にテーブルが空いてしまう険悪な空気に変わってしまっていたんです。
現地の友人にその理由を聞いたら、ここ数年で一気に社会の分断が急速に進んでいると説明してくれました。









編集部
ジャングルの中のレストラン『a little farn on the hill』はどのような状況でした?

桑木野
一日一客ですから、中華系の方は中華系だけでいらっしゃるし、マレー系はマレー系だけでお越しになっていました。マレー系のゲストの日は、ファームで放し飼いされていた犬も絶対に放すなと注意を受けました。マレー系の方々にとって、犬がダメということすら私は知りませんでした。
ただ毎月1度、レストランが主宰する “ファームテーブル” という日が土曜日に開催され、その日は宗教や人種を超て、誰もが食べられる料理を提供していました。どんなゲストがいらしても、この日は一緒に食卓を囲む “和やかなランチの風景” がありました。
編集部
さまざまな経験を経てこられた桑木野シェフに改めてうかがいます。
“今、ここ” で、どんな食を追求されていらっしゃるんですか?






桑木野
日々、試行錯誤しながら、“食の本質” を追求しています。
もしかすると “本質” という表現とも微妙に異なり、“原始的なるもの~野生の食” への回帰を目指し、少しづつですが手応えも感じています。 イメージとしては、新潟の郷土料理であれ、私がここで料理する意味を料理にちゃんと表現したいという考え方です。今、新潟という土地に暮らす私自身の生活は、料理を構成する要素です。私の日々の片鱗が見えるような料理をお客様にお届けしたいと思っています。
ただ、「里山十帖」は “ケ” でもあり、同時に “ハレ” でもある。そのバランスは非常に難しいとも感じています。「“歴史や文化を感じられる料理” をご提供しています」と、言葉で言うのは簡単ですが、それが実際に料理として供された時、お客さまにそれを感じていただけるかどうかは別のこと。うーん、だからこそ、そこをすごく大事にしたいし、いろいろなことにじっくり時間をかけたいんです…。
ひたすら日々、考えるのは、
「『里山十帖』にお越しになるお客さまの期待値にどうしたら応えることができるか?」 「一皿一皿に、新潟の文化と暮らしの姿をどうしたら映し出してゆけるか?」
「日々の暮らしから歴史や文化の本質が失われつつある現在、この現実を踏まえ、料理人はどう対処すべきか?」と。
一皿の料理を供するとは、それを支えてくださる多くの方々と関わることを意味します。しかし、その関係性も刻々と変化していることも実感します。このリアルな感覚に対し、あくまでも謙虚に、私はその歯車のひとつでありたいと考えています。
私がこの一皿を作ったのではなく、“食の大切さを共有する誰かと一緒に作ってます” という感覚。これは家族への帰属感とは異なります。“食の大きな循環” の中で、私も大切な機能を果たすひとつの歯車として生きることの意義を大切にしたいと思うんです。




編集部
桑木野さんご自身は、新たな「食」の循環の “ひとつの歯車” でよいと言う意味でしょうか?

桑木野
日々のささやかな私の判断があるべき未来の循環に向けて、“何かしらのきっかけ” となることを願っているんです。
編集部
フランス料理のシェフたちは皿の上で表現されるものは、自分がゼロから作り上げたものでなければならないという意識があると聞きます。料理の味を決定するソースは自分自身の創作、つまりクリエーションだという考え方。一方、日本料理の料理人は発酵食品の味噌や醤油など、然るべき名人が作った素材を取り寄せる。よって、日本料理の世界は “質” を共有する絆によって成立する共同作業として料理を捉えていらっしゃいます。「食」を支える土台の考え方はかなり違うようです。
ところで今、桑木野さんの拠点は新潟、土台ともなる新潟の独自の文化や歴史に対して特別な感情をお持ちですか?






桑木野
正直、特別な感情はありません。新潟に関心があった訳ではなく、この地に「里山十帖」があり、たまたまオープンするタイミングに私は日本に戻りました。帰国直後はしばらく東京で働いていました。今、ここに居を定め、こんなに長く住んでいることを、旅を続けてきた私自身、不思議な感覚で受け止めています。もしかすると、ご縁をいただいた地が岐阜や徳島だったとしても、ここでの日々と同様に、その地の歴史や文化を探求しながら、表現できる料理に向き合っていると思います。
編集部
興味深い自己分析ですね。旅をされてきたからこその感覚ですね。