料理人 | 株式会社PLUS IRIE 代表
1975年生まれ。1995年「クイーン・アリス」に入店。1999年に渡仏し、「ルカ・キャルトン」「プチニース」などで修業。帰国後、2005年に南青山「ピエール・ガニェール・ア・東京」の料理長に就任し、同店のミシュラン二ツ星獲得に寄与。現在は“FARM to TABLE”をテーマに、シェフ、メニュー開発、食育、運動など幅広い分野で活動中。
東京では産地に行かずとも、全国各地の新鮮な食材を簡単に手に入れることができる。前日の夕方までに注文すれば、翌朝には厨房に欲しい食材が配達される。無理な追加注文にも時には対応してくれて、わずか一時間程で届けられることもある。私たち、東京の料理人は本当に恵まれている。
さて、料理人としてのキャリアを重ねると、レシピ数もそれなりに増えるが、自分のスペシャリティーに固執しがちになることも事実だ。実際、私自身もそのひとりだった。例えば春は“帆立貝と赤野菜のルージュサラダ 燻製ビネグレット”、秋は“茸のタルト キャラメルシートとオレンジのソース”という具合に。もちろん毎年、火入れ時間を調整したり、付け合わせを変えたりと、自分なりにアップグレードし、以前より確実に美味しくなっているという自負もあった。が、新たな料理を生み出すことから遠ざかっているという自覚もあり、心秘かに自分は才能が枯渇しつつあるのではという不安を抱えていた。そんなモヤモヤする私の背中を押してくれたのが「食旅」、積極的に産地に足を運ぶ“食を巡る旅”に出ることだった。
「食旅」を思い立ったのは、40歳を目前にした頃、ちょうど私の料理の表現や考え方が大きく変わった時期にも重なる。私の料理人生の分岐点とも言えるこの時期を境に発表したスペシャリティーの多くが生産者の元に実際に足を運んだことで誕生した料理である。前回ご紹介した “塩レモンのリゾット”はまさにその代表であり、私が“入江誠のシグネチャー”と胸張って言える一皿だ。
生産者との出会いから生まれた私の料理のもうひとつの代表格に、“小松菜の冷製ポタージュ”がある。知り合いの紹介で訪ねた神奈川県秦野市のとある農家さん。そこを切り盛りするのはシャイな性格の笑顔が印象的な好青年。盆も正月も関係なく、農業に真正面から取り組む若手の生産者さんだ。簡単な挨拶を交わした後、彼の運転で急勾配の砂利道を一気に登ると、そこには相模湾を臨む緩やかな傾斜に色鮮やかな小松菜畑が一面広がっていた。青い海と緑の小松菜が生み出す景色、まさに絶景だ。収穫を目前に控えた小松菜たちは、まるでバレエダンサーのように背筋をピンと伸ばし、空に向かって美しく整列していた。そのひとつに手をやり、口に運ぶ。予想以上の糖度とほのかな辛味のバランスに驚かされた。“この小松菜の魅力が際立つ料理をきっと作れる!”私はその場で直観した。採れたて新鮮な小松菜をいただき、家路に向かう車中で既に、料理のイメージが大枠で見えてきた。厨房に到着し、直ちに調理を開始する。調理工程で一番こだわったのはブイヨンではなく、“水”で火入れするという事! 水こそが、小松菜の素材の味を一番引き出すことに確信があった。これをミキサーにかけて滑らかなポタージュにするのだが、そのタイミングがなんとも難しい。火入れが弱いと香りが立たない。逆に火入れが過ぎると香りも甘味も失われる。ひたすらベストな瞬間を狙うのだ。この水だけでポタージュを作る調理法は私が修行したフランスのシェフから教わったやり方で、「ベストなタイミングは一瞬しかない」という彼の言葉が頭の中で響き続けた。「調理時間は素材によって異なる。つねに素材と向き合い会話する事こそが大切だ」と。このポタージュを作る時にはいつも彼の、あの声を思い出す。
食材が育った大地、
その背景を肌で感じる。
その空気を吸って、
その景色を目に焼き付ける。
生産者とお互いの仕事について語らい、
お互いにリスペクトしていく。
そうして誕生したのが“小松菜の冷製ポタージュ”である。
全国の生産者と産地を巡る旅を私は『食旅』と名付けた。
これは単なる食材探しの旅ではなく、自分がどういう料理を作るべきなのか。料理人としてどうあるべきなのか、その答えを探す旅路でもあるのだ。