第五回
日本人の精神性が世界の見本になる?


2024.10.31




現在の環境負荷の4割で暮らす以外に未来の子供たちへのバトンは創れない。
それは、ちょっとした不自由さや不便さ(喜ばしい制約)を個やコミュニティーの知識、智慧や技で埋めて行くことであり、その結果、愛着感や達成感、充実感が生まれることも明らかになっている。

ただ、このちょっとした不自由さや不便さを、当たり前のように受け入れられる日本人は世界から観るとどうやら稀のようだ。
多くの自然災害や最近ではコロナ禍でも、日本人はいつも静かに淡々とそれを受け止めてきた。あちこちの国で暴動や略奪が起こっているのを見るにつけて、確かに不思議な心持になる。

このような精神性の原点は、アニミズム型社会にあるように思う。
それは、神道における八百万の神であり、仏教でいう山川草木国土悉皆仏に代表されるように、あらゆるものに神や仏が宿っているという概念である。この様な概念を未だに持ち続けている先進国は確かに日本だけだ。

その原点がどこにあるのかは、なかなか難しい。
少なくとも、近東や北アフリカで殺戮や奪取が繰り返されていた新石器時代、日本では、戦争の無い縄文時代が1万年以上続いた。
人も自然の循環の中にあり、自然に生かされていることを知り、自然を活かし、自然を往なすという暮らし方だ。

この日本型アニミズム文化が醸成したのが江戸の「意気」の概念のように思う。
意気は、自然と和合し、敗者をつくらず、足るを知り、自然のメタファ(見たて)から成る。

民藝を創設した柳宗悦は「用とは共に物心への用である、物心は二相でなく不二である」と言った。心を込めてつくればそこに心が宿る、「もの」と「心」を別物として考える(二元論)のではなく、一つとして考える(一元論)こともその一つだろう。
この一元論的な精神性が高く想い低く暮らす(意気)には不可欠であり、そんな精神性を持つ日本人だからこそ、誰もが憧れる意気な暮らしを世界に示すことが出来るのではないのだろうか。



石田 秀輝
(合)地球村研究室代表 東北大学名誉教授

2004年㈱INAX(現LIXIL)取締役CTO(最高技術責任者)を経て東北大学教授、2014年より現職、ものつくりとライフスタイルのパラダイムシフトに向けて国内外で多くの発信を続けている。特に、2004年からは、自然のすごさを賢く活かすあたらしいものつくり『ネイチャー・テクノロジー』を提唱、2014年から『心豊かな暮らし方』の上位概念である『間抜けの研究』を奄美群島沖永良部島へ移住、開始した。また、環境戦略・政策を横断的に実践できる社会人の育成や、子供たちの環境教育にも積極的に取り組んでいる。
星槎大学沖永良部島サテライトカレッジ分校長、酔庵塾塾長、ネイチャー・テクノロジー研究会代表、ものつくり生命文明機構副理事長、アースウォッチ・ジャパン副理事長、アメリカセラミクス学会フェローほか