【佐竹シェフが“順応”を
体得した釣りの物語】 ある夏、テントを持って木曽福島の山奥に釣りに行きました。新宿から夜行に乗って9時間。電車に乗って、バスを乗り継いで。ようやく着いた朝、近くにあった小さな食堂に入って食事を済ませ、食堂のおばさんとおばあさんに聞いたんです。 「この辺で釣りができますか」 でも、彼女たちは釣りをしないそうで「わからない」。どうしようかなぁ、と辺りを見回すと、食堂の前に林野庁の営林所の車が停まっていた。これ幸いと、尋ねると「ここじゃ、釣りは無理だよ。奥の村に釣り名人のきこり長がいるから、その人のところに連れていってあげる」と。そこで、車に乗せてもらって林道を1時間。まさか、誘拐されているんじゃないか、という不安もよぎり、僕は恐る恐る尋ねました。「帰りはどうしたらいいでしょう?」と。すると、営林所の人は、事も無げに言いました。 「村の人が運転している村営バスが一日一便出ているから、それに乗れば大丈夫だよ。もし、それに乗れないようならまた、送ってあげるよ」それで、少しは安心した。 ともかく、きこり長の家に着きました。中にお邪魔すると、おばあちゃんしかいない。きこり長はと、尋ねると山の上で木を切っていました。夏だというのにおばあちゃんは、ストーブを焚いています。標高1300メートル。「木曽の御嶽山は夏でも寒い」って民謡の歌詞にある通りでした。湿気が多いから一年中ストーブを焚いているそうです。 きこり長が帰ってきて、おばあちゃんから事情を聞くと、僕に「どれぐらい、釣りができるんだ?」と尋ねました。「全然できません」と答えると、それじゃあ、ということで一番簡単な川、白川に案内してくれたんです。 平坦な川ではあったんですが、水がとても綺麗だった。透明で魚が泳いでいるのが見えました。そこで、釣りを始めて、1時間ほど続けていたんですが、釣れない。でも、雑木林に取り囲まれた川に一人佇んでいると、自然の真っ只中にいることがひしひしと感じられ、充足感がありました。山深い、清らかな川。そこにたどり着くまでの、人々の温かい手助けを思うと、「釣れなくても充分だよな」という気持ちになった。自然のエネルギーが体に満ちてきたんです。 ただ、熊が出るからあまり奥に行かないように、と注意されたことを思い出しました。ふと、目を上げると、向かい岸の熊笹が生えているあたりに、生命反応があった。 「わっ」と僕がびっくりすると、向こうもびっくりしている。目と目が合った。それは、体長2メートルくらいのニホンカモシカ! しばらく見詰め合っていたんですが、そのうちにカモシカが水を飲み始めた。そして、飲むだけ飲むと走ることも無く、歩いて帰っていったんです。そのとき思いました。 「順応するって、こういうこと?」 ここにいていいんだよと認められることが、順応することなんだと思ったんです。しばらくぼーっとしていると、竿だけがぐーんと水の中に引き込まれた。びっくりして引き上げたら、28センチ程の大きな魚。その記録をまだ僕は、後にも先にも超えてないんですけど。そして、この釣りで得た感覚を僕はずっと忘れていません。 >>閉じる |