第六回
日本の産業革命は未来のかたち?


2024.11.28




哲学者デカルトの実態二元論の機械論的自然観、すなわち「自然は数式で表現される機械的法則によって解明される。故に自然の法則を解明すればするほど、人間の自然支配は容易になり、人間が自然を奴隷のごとく自由に使うことが出来る」。
これが、近代科学と技術の原理であり、産業革命の原理となった。  

ただ、この自然との決別で成功したイギリスの産業革命は大量生産・大量消費を原理とし、地球環境問題を起こした。  

では、自然と決別しない産業革命は存在するのか?
それは大量生産・大量消費には向かわないのか?  

王(権力者)と戦争のためだったテクノロジーが庶民のものになることを産業革命と定義するなら、日本の産業革命はイギリスより150年も早く、自然観を失わず、遊び、エンターテインメントが原理となって起こった。  

見世物小屋で弓曳童子(からくり人形)が的を外すと、次は当たれと手に汗して応援する。幕府のOnly One政策で生まれた流通システムに乗って、草双紙はじめ色々なものがカタログ販売された。
伊能忠敬の測量機もそのシステムで購入したものだったらしい。
無尽灯や万年時計をつくった田中久重、平賀源内の万歩計、奥田万里の精巧な木骨、国友一貫斎の月面観測図・・・
すべては、遊びや好奇心を原点とし、遊びの心が正義や道徳を大事にし、人間らしく生きるための豊かさを育んだ。

日本の遊びは、発散せず、茶道や華道などの「道」を創っただけでなく、踊りや祭りから、礼儀作法へ、さらに、無尽や講に繋がり強固なコミュニケーションを創り上げた。 そして最も重要なことは、自然や人と人との命のつながりを創った。
それが「意気」という文化の原動力になった。  

A.トインビー(*)が、「すべての文明世界は科学技術文明の前に全面降伏してしまった。だが、世界を征服したのは物質原理だけで精神原理が無い。世界を統一する原理の中に大きな空白がある」と言ったが、日本の産業革命は、自然も精神原理も失わなかったのだ。

アーノルド・J・トインビー Arnord Joseph Toynbee (1889-1975)
20世紀前半、国際問題の第一人者として活躍したイギリスの歴史哲学者
代表作『A Study of History (歴史の研究)』(全12巻)はじめ、膨大な著作を残す。



石田 秀輝
(合)地球村研究室代表 東北大学名誉教授

2004年㈱INAX(現LIXIL)取締役CTO(最高技術責任者)を経て東北大学教授、2014年より現職、ものつくりとライフスタイルのパラダイムシフトに向けて国内外で多くの発信を続けている。特に、2004年からは、自然のすごさを賢く活かすあたらしいものつくり『ネイチャー・テクノロジー』を提唱、2014年から『心豊かな暮らし方』の上位概念である『間抜けの研究』を奄美群島沖永良部島へ移住、開始した。また、環境戦略・政策を横断的に実践できる社会人の育成や、子供たちの環境教育にも積極的に取り組んでいる。
星槎大学沖永良部島サテライトカレッジ分校長、酔庵塾塾長、ネイチャー・テクノロジー研究会代表、ものつくり生命文明機構副理事長、アースウォッチ・ジャパン副理事長、アメリカセラミクス学会フェローほか